制作費2000万円を「僕らの音じゃない」でやり直し… 「SLT」佐藤竹善が語るバンドの原点と挑戦
デビュー5年半で初のアルバム1位
出したい音を形にしたアルバムだったが、セールスは芳しくなかった。2枚目のアルバム「CITY ON MY MIND」はさらに売り上げが下降。それでも毎年、アルバムを発売し続け、4枚目の「0 [lΛV](ラブ)」でようやくオリコンチャートトップ100入りを果たす。その後、5枚目の「Humanity」が3位、6、7枚目の「ENCOUNTER」「togetherness」はいずれも1位を獲得した。初のアルバム首位はデビューから5年半が経っていた。 「世の中の技術的な進歩と音楽的な変化や広がりが相まって、初期の頃は、アルバムを3枚出すごとに音楽性が変わって行きました」 その変化には海外レコーディングの影響も大きかった。マーケットの大きい米英には、オールマイティではないものの、ある1点においては他の追随を決して許さないようなスタジオミュージシャンや、あらゆる提案をしてくれるエンジニアがいた。特にエンジニア的な視点は、後に自宅レコーディングを始めてからも、3人に大きな影響を及ぼしていると語る。
ソロとSLT
SLTはバンドだが、ドラムやベースはいない。プロジェクトユニットのような形でありつつ、それでもソロとは異なる。デビュー前からバンドと並行してソロ活動をしたいと考えていた佐藤の意図が反映されてのものだろうか。 「バンドは3人の意見が集約されて作品ができる。ソロは、千章や西村が興味がないような音楽にまで広げて実験的にいろんなことができる。それが自分の肥やしになり、バンドにもフィードバックできるんです。最初の頃、千章や西村はソロ活動には肯定的とは言えなかったけど、今は三人ともソロも精力的にやっていますね」 デビューから10年が過ぎた頃からは「最終的に音楽で何を目指したいのか」をテーマに活動を続けてきた。 「ぼくらはSLTをやりたくてこの世界に入ったというよりは、やりたい音楽を作るためにSLTを作ったんです。その上で、SLTをやってきたことは誇りです。ファンもそんなSLTに誇りを持ってくれているし、その思いを大事にして、今までの曲も奏でる。そんな思いでいます」