「下手くそ!」舞台上の女優に浴びせられた「罵声」…超えられない”釜ヶ崎”の「伝説の踊り子」
釜ヶ崎での「リベンジ」
一条を描いた『谷間の百合』は04年、この劇団の桃山邑が書いた。初公演は05年初め。場所は釜ケ崎だった。これを作った理由を桃山はこう説明する。 「リベンジだったんです。釜ケ崎でウケる芝居を、なんとか作ってやろう。そう思ったとき、浮かんだのが一条さゆりでした」 「リベンジ」には理由があった。 桃山は97年末、連続射殺事件の永山則夫を描いた芝居『無知の涙』を作った。永山はその年の8月1日、拘置所で処刑されていた。北海道・東北から出てきた永山を描いた芝居を、「さすらい姉妹」が東京の上野公園や山谷で初披露した。 作品のクオリティだけでなく、東北出身の労働者が多い地域での公演だったためか、観客の反応もよかった。この劇団は、芝居を再演しないのが原則だ。それでもこの作品については、再演依頼もあり、何度か公演している。 その『無知の涙』を釜ケ崎で公演したのは01年8月15日である。夏祭り実行委員会の招きだった。場所は釜ケ崎中心部の三角公園だ。芝居が始まった直後から、労働者が騒ぎ出した。 「下手くそ、もうやめろ」 「聞こえねえぞ」 「自己満足でやっとんのか」 「大阪をなめとんのか」 やじ以上の怒声が舞台の女優2人に浴びせられた。最後には「帰れ」コールが起こる始末だった。
小倉 孝保(ノンフィクション作家)