日立の桜見守り31年 「花樹の会」活動に幕 助川山に2600本、育成に尽力 茨城
茨城県日立市でさくらのまちづくりに取り組んできた市民団体「花樹の会」が今月で活動を終え、31年の歴史に幕を下ろす。山火事で木々が焼失した助川山に約2600本の桜を植樹して自然を再生させ、市の固有種「日立紅寒桜」の育成にも貢献してきた。会員らは市のシンボルである美しい桜が次代に継承されることを願っている。 ■山火事の跡 助川山では1991年3月に山火事が発生し、山林約217ヘクタールを焼失。緑を復活させようと当時の飯山利雄市長の呼びかけに住民有志や造園業者が応じ、93年4月に発足したのが花樹の会だった。「額に汗し、手を土に汚して、自ら実践する」ボランティア団体として活動を始めた。 会員らは焼け跡を整地した上で95年からヤマザクラの植樹に取り組み、2000年までの6年間で山頂や石の池周辺を中心に約2600本を植樹した。以降は毎年、若木が雑木や雑草に負けないよう下草刈りや施肥作業を欠かさず行ってきた。 手弁当で手入れを続けた結果、背丈ほどだった桜の木は大きく成長し、現在は毎年美しい花を咲かせる。6代目会長の金子日出夫さん(84)は「はげ山だった場所に緑が復活し、桜の季節になると感無量。桜が大好きなメンバーなのでみんな春になると心が躍る」と話す。 95年には桜の木に関する実態調査を実施した。山間部を除いて市内には約1万4000本の桜があることや、桜を枯らす「てんぐ巣病」の広がりなどを報告し、保全に向けて現状を明らかにした。 ■日立紅寒桜 会員の一人の長島正吉さんがJR小木津駅で発見した「日立紅寒桜」の育成にも力を入れてきた。農林水産省が2006年に新品種として登録認定した早咲きの桜で、同会は接ぎ木で増やしたその苗木を市内各地に植栽した。開花期の1~3月には、多くの花見客が市内に足を運ぶようになった。 同会の事務局長を務める滝勝行さん(82)も地元の弁天町の公園「桧沢緑地」にこの日立紅寒桜を植樹し、守る会を結成して成長を見守ってきた。美しい樹形の桜の下で毎年「県内一早い花見」やライトアップを楽しんでおり、「花樹の会の活動を横展開できた」と振り返る。 奥日立きららの里(同市入四間町)では、03年までの11年間で計3100本のアジサイを植樹し、毎年6月には切り花と花苗をプレゼントする催しを継続。平和通りや鞍掛山などでの桜の保護活動のほか、先進地視察や講習会にも積極的に参加し、管理技術の向上に努めてきた。 ■桜のまちに しかし、ピーク時に約70人いた会員は現在15人まで減少し、平均年齢は80歳を超えた。刈り払い機などを持って急斜面を上がる作業も難しくなり、年内で解散することを決めた。 同市の桜のルーツは、大正時代に鉱山の煙害で荒廃した自然環境を回復させるため、住民と企業が協力して煙害に強いオオシマザクラなどを植えたことに始まる。桜の植樹はその後市街地に広がり、現在の桜のまちにつながった。 同会の活動は結実し、助川山のヤマザクラは定着した。この間、19年に市役所内に「さくら課」が新設されるなど、桜の保護の機運は大いに高まった。金子会長は「地域ごとにも桜を見守る体制が整ってきた。日立の桜はしっかり受け継がれていくはず」と次代に思いを託す。
茨城新聞社