武州丸撃沈から80年 有志40人が平和願い追悼 徳之島
太平洋戦争中に米軍潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没した疎開船「武州丸」の犠牲者を慰霊する「平和の夕べ」が21日、鹿児島県徳之島の徳之島町亀徳にあるなごみの岬公園の慰霊碑前で開かれた。島内の有志約40人が参加。80年前、戦禍で海に散った犠牲者148人の冥福を祈り、反戦への思いを新たにした。 島内有志でつくる武州丸と平和を考える会(幸多勝弘会長)が主催する恒例行事。2010年までは同会と遺族会の共催で慰霊祭を開催していたが、遺族の高齢化に伴い「平和の夕べ」に改称。新型コロナウイルス感染拡大の中でも毎年欠かさず開催してきた。 幸多会長はあいさつで「武州丸には当時0歳の子どもも乗っていた。もし生きていたら孫やひ孫に囲まれていたはず」と80年の月日の長さを強調し、「小さな島の草の根の平和運動だが、二度と戦争を起こしてはならないと伝え続けたい」と決意を新たにした。 町内の児童生徒6人も参加して焼香、献花で犠牲者を悼んだ。亀津小学校5年の女児2人は「犠牲者のうち77人は子どもだった。どれほど怖い思いをして亡くなったのかと思うと心が痛む」「絶対に戦争はしたくない。平和な日本を守り続けます」と慰霊碑の前で誓った。 武州丸は本土に疎開するために航行していた1944年9月25日、十島村中之島沖で米軍潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没。徳之島町亀徳、井之川、山、尾母集落の学童や女性ら148人が犠牲になった。