2歳児の言葉で「売れる」と確信した…過去3度大失敗した花王が日本初「家庭用の泡ハンドソープ」を発明するまで
■なぜビオレはキレイキレイに勝てたのか ビオレuが消費者、特に子どもたちに受け入れられたことについて、花王の開発メンバーは次のように分析している。 ---------- 1.市場にない泡タイプをリリースしたこと 洗いやすさと皮膚への刺激性が低い泡状にしたことが当たる要因だった。加えて容器のコストダウンのために海外生産を行ったことも挙げられる。 2.低刺激性の弱酸性処方にしたこと それまでのハンドソープはほぼ中性の処方だった 3.楽しい使い方を広めたこと ---------- 幼稚園、保育園、小学校を訪ねて「楽しい手洗い教室」を実施した。また、子どもたちのために「手洗い歌」を制作。洗う楽しさをアピールした。 ビオレuのヒットもあり、常務になった夏坂は花王を退職した後、都下にある国際教育で知られる啓明学園(幼小中高)の理事長を務めている。夏坂は当時を思い出して、こう説明する。 「僕らは手洗い用の石鹸を開発したんじゃありません。子どもたちに手洗いの楽しさを体験してもらおうと思ったんです。 かつて3回、失敗したわけですが、僕らが開発する際、メンバーには『過去に失敗したからこそ、そこから学べば成功確率は上がる。あきらめずに頑張ろう』と伝えました。自分たちがなぜ失敗したのかを見つめて、それを解析しないと仕事はうまくいかない。そう言いました」 ■「売れる」と確信した2歳児の言葉 私が思うに、日本初の泡ハンドソープ開発における教訓はふたつある。 ひとつはアインシュタインが言ったとされる言葉がヒントだ。 「同じ方法を繰り返して違う結果が出ると考えるのは狂気だ」 泡ハンドソープがリリースされる以前の3回の挑戦は「キレイキレイに負けたくない」というだけの追随作戦だった。同じような筋道で開発した商品が先行している商品に勝てるはずがない。花王のメンバーは視点を変えて開発したから勝った。 もうひとつの教訓はユーザーファーストを忘れないこと。売りたい商品を作るのではなく、客が欲しい商品を作る。これは商品開発の大原則だ。 幼稚園、家庭でリサーチした大熊はサンプル商品の回収中にある言葉を聞いた。それが忘れられない。 「発売前にサンプル商品を作って、ご家庭に使っていただきました。ある家庭を訪ねて、サンプルを引き取ろうとした時、そこにいた2歳のお子さんが悲しそうな顔でこう言ったんです。 『それ、持っていっちゃうの?』 あの時、私はこの商品は当たると思いました」 ---------- 野地 秩嘉(のじ・つねよし) ノンフィクション作家 1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。旅の雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)にて「ゴッホを巡る旅」を連載中。 ----------
ノンフィクション作家 野地 秩嘉