【インタビュー】谷繁元信氏が語る 平成→令和『捕手変化論』変わらない捕手に必要な“力”「常にフラットな精神状態でマスクをかぶらなければいけない」
併用制のメリット、デメリットとは
現役時代に横浜、中日で優勝を経験するなど平成を代表する捕手として活躍した谷繁氏
【平成×令和 捕手たちの辿る軌跡】 「“捕手”よりも“補手”であれ」とキャッチャーの本質を喝破したのは“生涯一捕手”の野村克也氏だが、平成と令和で捕手の技術や役割の変化はあるのか。高卒1年目、平成元年の1989年に一軍デビューを果たし、平成27年の2015年まで捕手として史上最多2963試合を果たした谷繁元信氏に聞いた。 取材・構成=小林光男 写真=BBM ――谷繁さんが現役時代を過ごした平成で、各球団には優れた捕手がいました。 谷繁 ヤクルトには古田(古田敦也)さんがいました。キャッチングもさることながらスローイング、インサイドワーク、加えて打撃も素晴らしく主軸を打っていました。すべてを兼ね備えていた捕手です。そして、何よりも“勝てる”捕手であったということ。90年代にヤクルトは黄金時代を築いていましたが、この点が最も評価されるべき点でしょう。 ――“捕手・古田”の登場でリードがクローズアップされることも多くなったように思います。 谷繁 古田さんは、その場面でどういうことをしたら相手が嫌なのか、どうやったら打ち取れるのか、ということをとにかく徹底的に考えて答えを導き出すリード。そこが、相当優れていました。 ――捕手像自体も変わった印象もあります。 谷繁 僕がプロ入団当初は、どっしりとした捕手が多かったです。それが、古田さんが活躍し始めて動きが俊敏で、打撃でも結果を残すキャッチャーが多くなっていきました。 ――打てる捕手と言えば阿部慎之助選手(巨人。現監督)が真っ先に思い出されます。 谷繁 慎之助の場合は、ディフェンスではなく、オフェンスから入っていったキャッチャー。ここが僕とは違う点です。ホームランを打ち、しっかり率も稼ぐ。とにかく打って、レギュラーの座を固めていきました。優勝を何度も経験して、キャッチャーとしてのレベルも向上。最後は皆が認める一流キャッチャーになりましたよね。 ――2003年、05年の阪神優勝時のレギュラーは矢野輝弘(現矢野燿大)捕手でした。 谷繁 矢野さんは古田さんや慎之助と違い、中日では違うポジションを守ったりしていました。阪神に移籍して野村克也監督と出会って指導を受け、そこから自分の形をつくり上げていった方ですよね。 ――パ・リーグにはダイエー・ソフトバンクに城島健司捕手がいました。 谷繁 ジョーは僕と同じく高校からプロに入って、最初は工藤(工藤公康)さんをはじめベテラン投手に実戦を通してキャッチャーとして必要なものをたたき込まれました。もともとジョーは・・・
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週刊ベースボール