村上春樹『風の歌を聴け』が表現する日本的感性 「他人とは分かり合えない」から始まる人間関係
■「他人とは分かり合えない」が人生のベースにある 藤井:だから僕は、31のときから村上春樹の世界を全く読まなくなったんですよ。今回20年ぶりに読んで、やっぱり引きずられてしまう危険性がある。なんで僕は31のときに彼の世界を断ち切ったのかというと、この世界に立ち止まっていたら、人間でなくなってしまうような気がしたんです。 だけど、僕はやっぱり31までの間に村上春樹を読んでいたことには絶対意味があったと思う。なぜかっていうと、人生全体がそうだとは思うし、現代だからより一層そうだと思うんですけど、やっぱり他人とは分かり合えないという無常観をベースにはっきりと心に持ち続けていないと、そういう諦観がないと人生は生きられないし、時代を作っていくこともできないと思うんですよ。
ここまで深く村上春樹のことを論じたのは生まれて初めてですが。なぜかというと、春樹って空気みたいな存在で、対象化できないくらい距離が近かったからで、だから、僕は一言一言かなり切実な言葉を僕なりに吐こうと思っていますが、その上で言えば、やっぱり捕虜収容所の世界の人間たちは無常観を持たずに生きているんですよ。 藤井:でも、その捕虜収容所で生きることの孤独は、村上春樹も僕も、感じながら育っていった。この孤独を心のコアに据えた上で、この現実にコミットメントしていこう、嫁さんのことも子供のことも大事にしよう、自分の国のことも組織のことも、できるだけ誠実に自分の実力の限りを使って大切にしていこう。そんなふうに思えるのは、根本的に「無常」だからなんですよ。無常感もないくせに、なんか仕事しているとか。
川端:それは気持ち悪い(笑)。 藤井:ほんとそうです(苦笑)。で、昔はそんな無常観を持たないで仕事している人の割合って6、7割くらいだったかもしれないけど、今やもう99.9%じゃないかと。だから残念ながら、この村上春樹の世界くらいの超デタッチメント世界、つまり、柴山さんの言った、現実と違う「亜現実」に一回自分の身体を浸してからじゃないと、現代人はまともな無常観を持てないんじゃないかと。だからホント僕は、村上春樹ワールドに救われましたね。