【会津の茶の湯文化】観光資源へ磨き上げを(1月23日)
会津若松市の七日町通りまちなみ協議会は、大正ロマンの雰囲気が漂う七日町通りをはじめとする中心市街地を「茶の湯の街」にする取り組みを進めている。今秋には市内を中心に全国規模の茶会も開かれる。茶にまつわる会津の歴史を改めてひもとき、観光資源の柱の一つとして磨きをかけてほしい。 戦国時代末期の会津城主蒲生氏郷は、わび茶を完成させた千利休の弟子「利休七哲」の筆頭として名を連ねた。1591(天正19)年、利休が豊臣秀吉に切腹を命じられると、子の少庵を会津にかくまった。後に少庵は許されて京都へ戻り、子の宗旦と千家の再興に取りかかる。鶴ケ城本丸には、少庵が建てたとされる茶室「麟閣」が今なお残る。氏郷の英断がなければ、千家茶道の命脈は絶たれていたかもしれない。 茶の湯の街プロジェクトは、会津若松の礎を築いた氏郷に光を当て、インバウンド(訪日客)を含む誘客の呼び水にするのが狙いだ。協議会は、抹茶を常時味わえる店や、キリシタン大名でもあった氏郷ゆかりの地などを紹介するマップを作り今月、配布を始めた。昨年10月にオープンした抹茶専門カフェなど七日町通りを中心とする6店舗が抹茶提供店として掲載されている。市民や観光客に、より身近に茶の湯文化に触れてもらうには、お茶うけを作る菓子店などにも呼びかけ、提供店を増やしていく必要があるだろう。
協議会は5月中旬、七日町通り周辺の5会場に茶席を設ける「七日町大茶会」を初めて催す。会津まつり協会は4月のさくらまつり期間中に「まちなか茶会」を、規模を拡大して開催する。いずれも街歩きをしながら、気軽に茶の湯文化を体験できる場となる。茶道と会津の歴史的な結び付きを後世に伝える上で、若い世代の参加は欠かせない。若者向けに特典を設けるなど工夫が求められる。 くしくも10月30、31の両日には表千家同門会の全国大会が市内を中心に開かれる。本県での開催は41年ぶりとなる。全国各支部の会員ら約千人が千家再興のゆかりの地である会津に集い、交流を深めるのは意義深い。大会を追い風に、「茶の湯が似合う会津」を国内外に広く発信してもらいたい。(紺野正人)