引退を決めた入江陵介 人生の半分は日本代表の日々「家族でありホーム。やりきったけど寂しい」
【思いは後輩、そして同士へ】 それでも、泳ぎ続けてきた。もっと早く、第一線から身を引くこともできたのかもしれないが、4×100mメドレーリレーも含め日本代表への思い、そして自身の後継者が出てくるまではやめられないという思いも強かったという。 入江はキャリアのベストレースとして挙げた「2012年ロンドン五輪のメドレーリレー」を例に、その理由を説明する。 「(北島)康介さん、(松田)丈志さん、(藤井)拓郎さんと喜びを分かち合った後に観客席を見ると、代表チームや日本人(のお客さん)が飛び跳ねたり泣いたりして喜んでいたんです。あの時の光景は今でもはっきり覚えています。競泳は個人競技ですけど、リレーは別。オリンピックではそれ以降、表彰台に上れていませんし、世界水泳でも苦しい状況が続いていますが、どんなに厳しい状況でもあの風景を見たいと思っていましたし、また、自分が少しずつ記録面で下がってきた時には、日本が再び世界で戦えるようになるためにも、(負けるつもりはないが)自分を追い越していってほしいという思いで泳ぎ続けていました」 パリ五輪選考会では、図らずも"同士"の心を突き動かした。 入江が最後の力を振り絞って泳ぎ続ける姿に、200m平泳ぎ決勝を控えていた鈴木聡美(ミキハウス)は、「ウルッときました。200mに苦手意識を持つことなく臨もうと思った」と振り返る。 33歳の鈴木は2012年ロンドン五輪で平泳ぎ2種目、400mメドレーリレーと3つのメダルを獲得し、入江とともに日本代表を引っ張った選手。その後、思うような泳ぎができず、2016年のリオ五輪に出場も、東京五輪への出場は果たせなかった。だが、昨季から再び上昇気流に乗り、この大会でも100m平泳ぎで14年ぶりに自己ベストを更新。そして200mでも見事にパリ五輪への切符をつかんだ。 種目が違えど、年齢を重ねた選手が200mを泳ぎきる練習を継続することがどれだけ大変なことか。高いレベルで100mと両立することがいかに至難か。ふたりは、言葉こそ交わさなくてもそのことを長い競技生活を通して身を持って共有してきた同士である。入江にとって選考会での200mは3年ぶり、鈴木は正面から200mの恐怖心を抱えながらも挑んだ。相応の覚悟がなければできないことである。 「(鈴木)聡美さんは1つ下。ロンドン五輪で活躍した仲間でもあるので、今の状態は本当に頼もしいですよね」 取材エリアで鈴木の勇姿を見届けた入江はそう感想を述べた後、最後に自身の競技生活について総括した。 「やり残したことはないですね。やりすぎちゃったかなという思いはあります、はい」 レースから2週間後の引退会見ではスーツ姿に身を包み、晴れやかに、時に涙を浮かべながらその思いを語った。今後はイトマンSSでの普及活動、大学院進学、幼少からの夢だったアナウンサー活動などの展望も入れていくという。 会見の最後には、2008年北京五輪で同室だった北島がサプライズ登場。思わず涙した入江に北島は、「陵介は本当に真面目。自分なんかはいかにサボるしか考えていなかったのに」と笑わせた後、「僕が引退した後も日本代表の中心として水泳界を牽引してくれた。これからは、水泳以外のことで自分のために時間を使ってほしい」と労った。 ひとつの大きな時代が幕を閉じ、新たな時代へ。 そして入江は新たな人生を歩んでいく。 【Profile】入江陵介(いりえ・りょうすけ)/1990年1月24日生まれ、大阪府出身。0歳からベビースイミングを始め、イトマンSSを拠点に中学時代から本格的に背泳ぎに取り組み始める。100m、200mで中学新記録を樹立すると、近畿大附高1年時の2005年のインターハイ200m背泳ぎで優勝。2006年の日本選手権200m背泳ぎで高校新記録を樹立し、初のトップ日本代表入り(夏のパンパシフィック選手権)。以来、2023年シーズンまで17年連続で主要国際大会の日本代表入りを果たしている。代表選考会(2011年、2023年以外は日本選手権)の成績は、100m背泳ぎは2011年の初制覇を皮切りに2014年から10連覇を含む計12回、200m背泳ぎは2007年からの10連覇を含む計14回の優勝を数える。オリンピックは2008年北京大会から4大会連続出場で計3、世界水泳選手権は2009年ローマ大会から8大会連続出場で計4のメダルを獲得している。
牧野 豊●取材・文 text by Makino Yutaka