亜大中退→プール監視員のバイト経てドラ1に 右膝は限界突破…人生を変えた1本の電話
日産自動車に入社…ニックネームは「ジョン」
それもプラスに働いた。問題の右膝痛も「もう痛いなんて言っている場合じゃなかった。アカンかったら、アカンかった時やと思ってやったら、何か壁を越えられたんです」と話す。怪我してから高校時代は全力疾走できない状態だったのが変わった。「何か強くなったですね。ちゃんと走れるようになったというか……。たまに痛みましたけどね。でも、日産では大洋でトレーナーをやっていた方にマッサージをしてもらって、それもすごくよかったんですよ」。 日産自動車野球部で頭角を現し、先輩からもかわいがられた。当時、大流行した映画「サタデー・ナイト・フィーバー」の主演俳優、ジョン・トラボルタに似ていると言われ、ニックネームは「ジョン」になった。「ずっと“ジョン”と言われましたね。『おい、ジョン、ちょっとボールをとってくれよ』とか『おい、ジョン何々』とかね。しまいには何か俺って犬か何かな、と思いましたけどね」と中田氏は笑う。でも、それは全く苦にならない上下関係だった。 右膝をあまり気にしなくなってからは「球も速くなりました」という。「それまではやっぱり怖さが自分の中ですごくあったし、体力的にも自信がなかったんですけど、日産自動車ではアメリカンノックとかもよくやりましたし、そういうのもよかったんだと思います」。中田氏はここからプロ入りをたぐり寄せるが、「もしも大学をやめた後、先輩から電話がなかったら、どうなっていたんだろうって思いますね」とも話す。 亜大を中退した時や、室内プール監視員のアルバイトをやっていた頃は、1980年ドラフト会議で阪神にドラフト1位で指名される自身の姿は想像できるはずがない。すべては日産自動車に誘われたからで、それがなければ野球を続けていたかどうかさえもわからない。「たまに思うんですよねぇ。何かすごいことだったなぁってね」。中田氏の野球人生はいろんな人に出会い、支えられて成立している。
山口真司 / Shinji Yamaguchi