なぜ米国はイルカ漁に敏感なのか? 米大使が批判発言 /早稲田塾講師 坂東太郎のよくわかる時事用語
アメリカのケネディ駐日大使が「アメリカ政府は、イルカの追い込み漁に反対します。イルカが殺される追い込み漁の非人道性について深く懸念しています」とツイッターで投稿しました。和歌山県太地町で古くから行われている追い込み漁への反対表明です。 太地(たいじ)町の漁は「ザ・コーヴ」(入り江)という映画が2010年にアカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を受賞し、世界に名だたるイルカ漁の町となってしまいました。
イルカは小型クジラの俗称
「イルカ」というのは小型クジラの俗称です。クジラには歯のある「ハクジラ」と歯のない「ヒゲクジラ」があって、うち小型(だいたい体長4メートル以下)のハクジラ類を指します。つまり「イルカを取るな」は「小型ハクジラを取るな」と同じ意味。ちなみにハクジラ類で最も大型がマッコウクジラ、イルカより少し大きいのがシャチです。 クジラは乱獲による減少で保護の対象となり、国際捕鯨取締条約に基づいて作られた国際捕鯨委員会が1986年に商業捕鯨を禁止しました。日本もその決定に従っています。ただしクジラ類すべてではなく沿岸の小型捕鯨は種類を限って認められました。目的は主に食用です。ハクジラ類のイルカ、ゴンドウクジラ、ツチクジラあたりが当てはまります。といってドンドン取っていい訳でもなく、水産庁は計約2100頭と捕獲枠を設けているのです。 沿岸捕鯨を行っているのは400年以上の歴史がある太地町のほか、北海道網走、宮城県石巻市鮎川、千葉県南房総市和田の4個所です。
世界有数の捕鯨国だったアメリカ
さて先に「乱獲」と述べました。この先頭に立っていたのがケネディ大使の母国アメリカです。主な狙いは「食用」ではなく「鯨油」で、モリを打ち込んで船上に引き上げて得る方法を主に用いました。これが石油などより安価で豊富な燃料が普及するにつれ需要が減り、いわば必要なくなったので捕鯨を禁止しても痛まなくなりました。 アメリカが世界有数の捕鯨国であったのは日本の近代史にも多大な影響を与えています。1853年に来航したペリー提督の「黒船」の要望に日本の開港がありました。港がほしいという以上、船が立ち寄るという前提があるわけで、その多くが捕鯨船でした。翌年のペリー再来で日本は開国します。この時に日本側で尽力したジョン万次郎は14歳の時に漁に出て遭難したところをアメリカの捕鯨船に救出され、捕鯨船員になったという経歴があるのです。