「踊る大捜査線」はエヴァを意識して作られた!? 亀山Pが明かす知られざるシリーズ制作裏話とファンに「ずっと謝りたかったこと」
“青島俊作”だった亀山は、気が付けば“室井慎次”に
亀山の立場も変わった。2003年に新設されたフジテレビ映画事業局の局長に就任すると、2005年、フジテレビの映画事業は日本一の利益率を誇るまでになる。2006年に執行役員、2010年には取締役へと昇進。かつては現場に赴き、演者やスタッフとともに同じ空気を吸っていた――いわば、青島俊作だった亀山は、気が付くと会議室から指示を出さなければならない室井慎次になっていた。 「室井さんのように思慮深く、それでいて孤独に耐えられる人だったら、もう少しやりようがあったかもしれない(苦笑)」 自ら生み出したものである以上、自ら落としどころを見つけなければいけない。地続きでつながる劇場版2本、「踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!」(2010年)、「踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望」(2012年)、そしてテレビ版の最後となる「踊る大捜査線 THE LAST TV サラリーマン刑事と最後の難事件」(2012年)の計3本を作ることで、終止符を打つことを決めた。 「2007~2008年頃だったと思います。その3作を作って、『踊る大捜査線』を完結させようと。今思うとファンの方を無視した決断です。その点に関しては申し訳ないという心残りがあります。一方で、ファンの方に安心していただきたいのは、演者の皆さんが『やりたくない』といった話は一切ないということ。演者の皆さんは、『踊るシリーズ』をとても大事にされている」 幕引きはしたつもりだった。だが、次第に「このままでいいんだろうか」といった思いが込み上げてきたという。
約20年振りに現場で指揮を執った
「一生懸命何かをやろうと思っても、時代遅れだと言われて、はじき飛ばされてできないことだってあります。数年前、ご存じのようにフジテレビは早期退職者を募りました。かつての仲間が、何人も僕のところにあいさつに来て、『辞めることにしました』と話すわけです。話を聞くと、『ドラマを作りたくて入ってきた』『バラエティを作りたくて入ってきた』という。しかし、年齢やキャリアが上がっていく中で管理職となり、どんどん現場から外れていく。『どうなるか分かりませんが、一度外に出て、小さいものでもいいから作りたい。表現の場所はたくさんありますから』、そう言って出ていった同僚たちを見てきた」 彼ら彼女らの姿を見て、「自分はどうなんだろう」と考えたという。 「僕自身、ドラマを作りたくてフジテレビに入社した。おかげさまでヒット作を生み出すことができ、フジテレビの映画ブランドをなんとなく作れたのかなという満足感もあった。だから、そろそろ卒業かな、なんて考えていた。ですが、決意を持って辞めていく人間を目にして触発されたんです。できることがあるなら、やらなければいけないと」 自分たちが線を引いただけで、「踊るシリーズ」は完結していない。青島も室井も生きている。彼らは今、何をしているんだろう。本当に区切りを付けるために、同作は再び動き出した。 「室井慎次 敗れざる者」「室井慎次 生き続ける者」の両作で、亀山は「踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」以来、約20年振りにプロデューサーとして現場で指揮を執った。 「本当は若いプロデューサーに任せたかったんですよ。ただ、本広監督は『この内容は僕に向いてない』なんて話すし、脚本の君塚良一さんの思いも共有している。柳葉さんにも現場で伝えていくことがあるから、さまざまな調整をするためにやらざるを得なかった(笑)。プロデューサーって調整するためにいますから。とは言え、現場のプロデューサーとしてド真ん中で仕事をするなんて本当に久しぶりだった」