五輪選考に泣いた松野明美さんが福士問題で陸連の選考方法を批判!
「(たとえ内定が出ても陸連の)口約束が一番怖い。私もされた。大阪で2位になったが、(代表入りが)非常に危ないということで、(この記録で代表が)無理なら名古屋で走りますと言うと、日本陸連の方が、『(大阪の結果で)大丈夫だと。ほぼ間違いないだろう、選ばれる』と言われたので、口約束だったがそれを信じて名古屋に出なかったら、なぜか知りませんが、世界陸上で4位だった有森さんと、(大阪2位の)私という選考になった。オリンピックに出れる出れないで人生が変わります」 当時、1991年8月に東京で開催された世界陸上で銀メダルを獲得した山下佐知子さんが、まず代表に内定。その世界陸上に出場した有森裕子さんは、2時間31分8秒で4位だったが、年明けの大阪女子で初マラソンの小鴨由水さんが2時間26分26秒で優勝、松野さんは2時間27分2秒で2位に入った。松野さんは、わざわざ異例の記者会見を開き、「私を選んで下さい」とアピールまでしたが、本来、記録の出る大阪で2位だった松野さんではなく、バルセロナ五輪の本番想定に近い夏のレースで4位に食い込んだ有森さんが代表に選ばれた。 「世界陸上で有森さんは2時間31分台。私の2時間27分と、4分も違うのに…非常にわかりにくい」 バルセロナ五輪では、有森さんが銀メダル、山下さんが4位に入り、選考が間違いでなかったことを証明したが、出演者から「松野さんが出場していたら、もしかしたら金メダルをとっていたのですか?」と質問が飛ぶと、「(金メダルを)とっていました。悔しくて悔しくて涙が出ました。(五輪出場をしていれば)今の私と人生が違っていた、それほど人生かけているんです」と、選手がどれほどの思いで五輪の選考レースに挑んでいるかを代弁した。また選考方法については「一発勝負が絶対いい」という意見を口にした。 松野さんが明らかにした“口約束”が、陸連のどの立場の人の言葉だったかはわからないが、確かに密室の理事会で、決定される選考過程への不透明さは、ずっと指摘されてきた(松野さんを選ばずに有森さんを選んだのは正解だったが)。今回、大阪女子で設定タイムをクリアして優勝した福士に“内定”を出せないのも、現状の選考方法では、理事会という正式な議決、決定機関を経ていないのだから、当然と言えば当然で、陸連の誰かが、松野さんの過去のように“内定”を福士サイドに伝えたとすれば、それはそれで問題ではある。 おそらく福士のエントリーは、そういう陸連の選考方法に対する問題提起の意味を多分に含んだもので、直前では、辞退するものと考えられるが、歴史を繰り返さないためにも次の東京五輪の選考方向、選考基準は、万人が納得する形を示さねばならないだろう。