安政南海地震の記憶が刻まれた「そろばん」津波に流され見つかったのは牟岐町の田んぼの中【徳島】
「大垣そろばん資料館」にあった“あの”そろばんには生々しい記憶が
資料館の大垣さんは、あのそろばんをよくわからぬままインターネットで購入したそうです。 決め手はそろばんの裏側にありました。 (大垣そろばん資料館 大垣憲造館長(79歳)) 「ネットで、裏に書いてある文字がチラッと見えたような気がしたんですよね。『あ、なんか書いてあるぞ』と、これは絶対手に入れないと」 歴史学者の手で解読された159文字。 それは1854年に起きた「安政南海地震」の生々しい記憶でした。 (大垣そろばん資料館 大垣憲造館長(79歳)) 「このあたりになりますね。『未曽有の(地震)に襲われて、家や倉庫がことごとく流されて、みんなは高地に避難したと。ところがこのそろばんは南の海を漂流した後、灘村(現在の牟岐町灘)の庄屋・喜田氏の田の中に埋まっていたと。2年後、安政3年になって掘り出された』」 「安政元年11月5日未曽有の地震」 「丈三尺(約4m)の津波」 「家や倉庫はことごとく流され」 「人々は高地に避難した」 「灘村、今の牟岐町灘の庄屋の田んぼの中でそろばんは見つかった」 (大垣そろばん資料館 大垣憲造館長(79歳)) 「大阪は地震も怖いです。火事も怖いですけど、プラス津波も来るんだと。なぜかというと大阪には大きな川があるんです、何本もね。だから津波は絶対来ると、そういう風に思っておりますので、やっぱり大阪の人々も津波のことも忘れずに覚えておいていただきたい。このそろばんはご覧のようにちょうど底板が付いてまして、けっこうな重さがありますので海の上で船のようにぷかぷか浮いていたんじゃないかと思うんですね。東日本大震災の奇跡の一本松に似たような経緯で生き残った。僕は『奇跡のそろばん』だと、普通のそろばんじゃないと伝えていかなあかん。自分が亡くなっても、息子の代でもね伝えてほしいなと思っております」
そろばんを見た防災の専門家は
(徳島大学環境防災研究センター 中野晋特命教授(69歳)) 「『南海トラフ地震』は必ず起こるわけですね。だいたい90年から150年の間隔で起こっているということで、昭和の東南海地震からすでにもう80年、今度の南海トラフ地震は揺れの強さというのがやはり甚大なもの、特別に強い揺れがありますので、揺れ対策に注力しないといけないと思っています。地震の揺れによって建物が倒壊したりすると、避難する時間がない。そういうことからしても、揺れから身を守る対策をしっかりやって、そのうえで津波に対する避難っていうのを充実させていく」 中野特命教授に「安政南海地震」を知るそろばんを見てもらいました。 (徳島大学環境防災研究センター 中野晋特命教授(69歳)) 「170年経って、こういう資料を読むことによって学ぶことが多いということですから。これを記録された方の想いが現代につながってきたと、そういう風に思いますね」 江戸時代後期から「そろばん」を通して受け継がれる南海地震の記憶。 そこには近い将来必ず起きる未来の災害に備え、私たちが学ぶべき教訓が刻まれています。