「向こう三軒両隣」は私が守る!マンモス団地の女性自治会長の奮闘
【前編】20年間「孤独死ゼロ」を実現させた大山団地・自治会会長の佐藤良子さんより続く 【写真あり】「はい、大山自治会の佐藤です」と相談電話に応える。24時間受け付けること自体が住民の安心感につながると信じる お金の使い方も不透明。これはおかしいと、自治会役員に立候補。“向こう三軒両隣”の精神で、コミュニティのつながりを、自らリーダーシップを取り実現してきた佐藤良子さん(82)。 そして直面する、少子高齢化。1千400世帯、3千800人が暮らすマンモス団地は、日本社会の縮図なのかもしれない。 そこにかつてのにぎわいを取り戻すべく、82歳のいまも奔走する。その姿には日本を再生させるヒントがある。 佐藤さんの自治会改革はまた、男性社会の理不尽なカベを突き破っていく闘いの連続でもあった。 「自治会の活動を続けてきて思うのは、地域作りの底力となるのは情熱ある“人”ということ。男とか女とかは関係ない」 そんな話をしている間も、またすれ違う住民との会話が始まる。 「あら、小松さん。スーパーかな。今日も元気そうね」 会話をするときは必ず自転車を降り、相手の名前を呼びかける。 「自転車を降りるのは、たいてい長話になるから(笑)。長く住む1千人以上の住民の顔も名前も部屋番号も、30年も自治会でやってれば、自然に覚えちゃうものよ」 あっけらかんとして言う。 いまも24時間、相談の電話を受け付けるし、自治会は住民の駆け込み寺との信念から、自宅玄関の鍵もかけないという。目指してきたのは、住民が「一生ここに住みたい」と思う団地だ。 ■ほぼ半世紀前に家族で引っ越してきた。古きよき昭和の暮らしがかろうじて残って 「抽選に一回で当たったときは、憧れの団地生活ができるんだと、家族で大喜びしたものでした」 佐藤さん一家が大山団地に入居したのは、ほぼ半世紀前の1976年3月。会社員の夫(81)との間に、当時7歳の長男、3歳の長女に続いて次男が誕生した直後だった。 「そのころはまだ940世帯で、2階建ての3DK。風呂なしだったんですが、どのお宅も、小さな庭に自分で浴室を建て増ししてましたね。家賃は月6千円くらい。 幼い3人の子育てに追われ、近くに頼る親類もいなくて不安を抱えていた専業主婦の私でしたが、大山団地で暮らし始めたら、みんなで助け合うのが当たり前の生活がありました」 すでに日本中で失われつつあった古きよき昭和の生活が、ここにはかろうじて残っていた。 「うちは上の子が病弱でしたが、病院に連れていくときは隣のおばちゃんが下の子たちの面倒を見てくれ、私が熱を出すと『今日は子供たちはうちでごはんを食べさせるから』と言って、私にもおかゆを作ってくれたり。うちの子供たちは、団地のご近所さんに大きくしてもらったんです。 24歳で結婚。以降、市内のアパートや借家での暮らしを経て、前述のとおり大山団地へ。 やがて、わが子の成長とともに団地内の子供会やPTAの活動にも徐々に参加するようになる。 「そのうち、子供会などの活動を通じて、自然に自治会の様子も垣間見えるようになると、さまざまな疑問が生じてきました」