〈「しっかりやれよ」と札束をドーン〉杉良太郎が“唾を飛ばしながら一生懸命喋る”田中角栄から聞いた言葉
俳優・歌手の杉良太郎氏は、長年の福祉活動などを通じて、芸能界から政財官界まで幅広い人脈を築いた。政界でも数々の大物政治家と深いつながりがあったという。(聞き手・構成=音部美穂・ライター) 【画像】田中角栄との思い出を語った杉良太郎氏 ◆◆◆
田中角栄から「君は日本の宝だ」
〈20代から政治家との交流があった杉にとって、政治家は人間の裏表を教えてくれた存在だったという。その代表格が田中角栄だ。〉 角栄先生には、「金さん」って呼ばれていてね。「毎週欠かさず『遠山の金さん』を見ている。政治家のように頭を使う仕事には、ああいう勧善懲悪のドラマが一番、気分転換にいいんだ」って言っていた。角栄先生は、顔がくっつくんじゃないかと思うほど、顔を近くに寄せ、唾を飛ばしながら一生懸命喋るんだよ。 「君はな、国民に夢と希望を与える立派な仕事をしているんだ。今の政治家に夢や希望を与えている者が一匹でもいるか? 自分の仕事に自信を持って、これからも頑張ってくれ! 君は日本の宝だ!」 ある時、事務所で角栄先生が「金さん、今から1人ずつ政治家を呼ぶから、横に座ってしっかり見ておけよ」と言う。横で見ていたら、政治家が部屋に入ってくるたびに「しっかりやれよ」と激励して、札束をドーン! 当時は、餅代なんて言って派閥の領袖が議員に“お小遣い”を渡すのが当たり前だった。でも、そうやって何人かに渡した後、角栄先生は、真剣な顔で言うんだよ。「どうだ? こんなふうにやっても、みんな最後は裏切るんだよな。人間なんてそんなもんだ」って。
角栄が言った「グサリとやられる」
別の時には、「ワシが電波を作ったんだ。その電波に今、やられてる。自分のつくったものにグサリとやられるんだ。金さん、それを忘れるな」って、そんなことも言っていたな。角栄先生は郵政大臣時代に、テレビ局の予備免許をめぐる調整を行って、新聞社傘下の局の統合系列化を進めたり、現在のマスコミの原型を作っていた。でも、そのテレビのワイドショーからバッシングを受けていた。 いくら恩を受けたって、裏切る人間はいる。何かあると掌を返したように攻撃してくる人間もいる。人間の汚いところをしっかりと見ておけよ。角栄先生はそういう思いで、カネの受け渡し現場を若造の僕に見せたんじゃないかな。 〈角栄との付き合いの一方で、杉は角栄と犬猿の仲だったとされる福田赳夫とも懇意にしていた。きっかけを作ったのは画家の安井曾太郎の妻・はま。はまに連れられて福田邸を訪れたのは、デビュー3年目のことだった。〉 福田先生との初対面は今も鮮明に覚えている。はまさんが「福田さん、杉さんはこれからのびていく俳優さんだから、後援会長になってあげて」と言うと、福田先生はじっと僕の顔を見て一言「はーはー、ほーほー。君はいい面構えをしているな。吾輩が後援会長を引き受けよう」。そう言って、会長を快諾してくれた。「はーはー」「ほーほー」っていうのが先生の口癖でね。 後援会が明治座を借り切って公演した時、僕が花道を進んでいくと、「おいおいおい、吾輩だ。ほーほーほー、はーはーはー、おいおい」と話しかけてくる声がする。ちらっと眼をやると、案の定、花道の脇に福田先生が座っていた。これには参ったね。僕は係に、「静かにしなさい」と注意をしてくるよう指示した。 福田先生は、息子以上に歳の離れた僕にも飾ることなく接してくれて、応援してくれた。ある時、派閥の幹部の集まりに僕を連れていって、「杉良太郎君だ。ひとつ宜しく頼む」と紹介してくれてね。そこにいた安倍晋太郎先生はそばに寄ってきて、「おやじ(福田)にもしものことがあったら、杉さんのことは自分が全部引き受ける」と言ってくれた。だけど、晋太郎先生のほうが、福田先生より先に亡くなってしまった。