追悼 小倉智昭さん 番組リポーターとして背中を押してくれた大恩人「果報は練って待て」 本番直前まで…勉強し続ける姿勢
【ニッポン放送・飯田浩司のそこまで言うか!】 2006年、ニッポン放送入社3年目の秋に、「小倉智昭のラジオサーキット」という番組が始まりました。私はその番組で中継リポーターとして使ってもらいました。 当時、レギュラー番組がなく、泊まり勤務やスタンバイ業務をしながら日々を過ごす、典型的な「くすぶったアナウンサー」でした。ですから、小倉さんに拾ってもらったようなものです。 スタート当初の番組コンセプトは「街」でした。一つの街を掘り下げる「ラジオ版・アド街ック天国」のような番組で、リポーターの役割は生中継でその街らしさを伝えるというもの。 ところが、スタジオはあの小倉智昭…。何をリポートしても小倉さんの方が100倍詳しいのです。 「その店まで行ったら、隣の○○はどうだった?」とか、「その2軒隣の餃子もうまいんだよ」とか、情報ではまるで太刀打ちできない。 リポートしては返り討ちに遭いを繰り返していたある日、東京・吉祥寺の井の頭公園入口にある名物店「いせや」からの中継で、焼き鳥と瓶ビールが出てきたときにひらめきました。 「飲んじゃえ!」 喉仏にマイクを当てて、ゴクッゴクッゴクッ! プハァァァ~! スタジオの小倉さんが身悶えしながら悔しがって、「飯田、コノヤロー!」。 あ、こりゃ怒らせちゃったかなとドキドキしながら帰社したのですが、小倉さんは「それだよ。そのぐらい伸び伸びやればいいんだ」と言ってくれたんです。 それまで段取りだとか言葉遣いだとか、いろいろなことに気を使って縮こまっていた心が一気に解放されました。放送って面白い! 「自由にやっていいんだ」と思ったのはその時が最初でした。 そこからは、スタジオの小倉さんをどう悔しがらせるか、やり取りを楽しむ余裕が生まれました。中継中に飲んじゃう以外に、銭湯の湯舟から中継してスタジオを尻目に昼風呂を楽しんだり、マッサージしてもらいながら中継したり、今考えても好き放題。 失礼な言動もたくさんあったでしょうに、小倉さんはいつも上機嫌で送り出してくれました。今考えれば、そうしてリポーターの背中を押してくれていたんですね。