選挙で6回落選する父と食堂経営で支える母「今や子どもに大人気」小島よしおが過ごしたちょっと変わった幼少期とあの海パンとの「数奇な出会い」
── そんなお父さんですが、選挙に6回落選してしまったそうですね。当時はどのような様子だったのですか? 小島さん:民社党の職員として勤めるかたわら、国政選挙にも6回立候補しました。選挙に出るのはものすごいお金がかかって大変なんですよ。当時は幼かったこともあり、落選するたびに「またやります」という父に対して特別な思いはありませんでした。ただ、間違いなく母は大変だったと思います。経済的な大変さもありますが、サポートする家族としては精神的にもきつい。年賀状とか1万枚くらい母が書いていましたから。
だから、父が「また出馬する」と言うたび、母は内心穏やかではなかったと思います。 最後の選挙なんて、家族に相談なしに退職金に手を出して出馬していたので、母はめちゃくちゃ怒っていました。子どもには相談しなくとも、母にはするべきですよね、って僕でも思います。母は新聞で父の出馬を知ったんですから(笑)。 うちの父はよく言えば「楽天的」、悪く言えば「自分勝手」で「何とかなるだろ」っていう人なので、母はそうとう苦労したんじゃないかと思います。
のちに母は「家を守れない人が国を守れるわけない!」って言ってましたけど(笑)。反面教師じゃないですけど、今自分も家族を養う身になり、そこはやはり優先順位を間違えてはいけないなと思いますね。父に学びました。
■母のお店で「ブーメランパンツ(海パン)」に出会う ── 小島さんにとってはどんなお母さんでしたか? 小島さん:とても明るい性格です。バザーやフリーマーケットで服を売って生活費のたしにするなど、生活が苦しいときもあったとは思うんですけど、そういう雰囲気を僕らに全然感じさせませんでした。
そんな母が、僕が高校3年の頃「沖縄料理屋を始める!」って突然言い出して驚いたことがありました。それまで店をやった経験がなかったので心配したんですが、母は社交的ですごくいろんな人とコミュニケーションできる人だったから全然、大丈夫でしたね。僕も調理を手伝ったりしていました。お店にはいろんな年齢の人がやって来たので、接客するなかで僕も社交性が身につきましたし、人間力もアップした気がしますね。 ひとつ大事なエピソードがあります。お店の常連のお客さんに、二十歳の誕生日プレゼントとしてブーメランパンツ(海パン)をもらったんです。それが後々の衣装になるわけです。ピン芸人になった当初は「服を脱ぎながら怖い話をするも、全然怖くない」というネタをやっていたんです。でも服を脱いでもブリーフやパンツ姿だと違うなぁ…と。そのときに常連さんにもらった海パンを思い出して、今に至るというわけです。母の店がなかったらあの衣装にも出会ってなかったんですよね。