女学生「意識が戻ると、独房の床に倒れていました」…イラン刑務所の劣悪すぎる環境で囚人が次々と気絶
自分を救うために
――家族との面会や電話は許されていましたか? 最初の数週間は家族と会うことを許可されませんでしたが、尋問の最後の2週間、家族と2回会うことができました。週に1回の電話も許されていました。より正確には、尋問のあとにだけ、電話をかけられました。 最初の頃は尋問官がすぐ近くに立って見下ろしているので、家族と話している間もずっと居心地が悪かったのですが、あるときから尋問官を無視しようと決めました。それ以降は電話が楽しくなりました。怒られ、説明しろと迫られるより、私の体調を気遣い、心配してくれる声を聞くほうが良いに決まっています。 尋問室から解放されると、自分は彼らに責められるような人間ではない、彼らにそうなれ、と言われている人間でもない、と希望を感じることができました。尋問の雰囲気と独房の孤独感は、私をすべての物事から遠ざけるように設計されています。尋問官は私に罪悪感を抱かせたいのです。 おかげで私は自分の考え方がいけないのかと己を責めました。彼らは私を別の誰かに変えようとしています。彼らと話していると、自分はまがいものの世界に生きているという錯覚に陥ります。押しつけられる考えを打ち消すのは、苦しみの連続です。しかしそれだけが私を救う手立てでした。 翻訳:星薫子 『イランで「禁固刑10年」を受けた女性活動家が明かす、独房生活で「最もつらかった瞬間」』へ続く
ナルゲス・モハンマディ(イラン・イスラム共和国の人権活動家・ノーベル平和賞受賞者)