まさかの“交代劇”…シーズン途中で休養となった監督(2)現状最後のプレイングマネージャー
長いプロ野球の歴史の中では、”名将”と呼ばれた指揮官が多く存在。近年も、オリックス・バファローズをリーグ3連覇に導いた中嶋聡監督などが、優れた手腕でチームを率い常勝軍団を築いている。一方で、成績不振によってシーズン途中で現場を離れる例もあった。そこで今回は、休養を余儀なくされた監督を紹介する。
谷繁元信
出身:広島県 投打:右投右打 身長/体重:176cm/81kg 生年月日:1970年12月21日 ドラフト:1988年ドラフト1位 一時はプレイングマネージャーとして、選手兼監督という立場を担っていた谷繁元信も、休養を経験したことがある。 江の川高校(現・石見智翠館)で通算42本塁打を記録し、強打の捕手として注目された谷繁。ドラフト1位で横浜大洋ホエールズ(現:DeNA)に入団した。 魅力だったバッティングで苦しむシーズンもあったが、1996年に初の3割(.300)を達成し、1998年のリーグ優勝、日本一の立役者となった。 2001年で横浜を退団し、2002年から中日へ。移籍1年目にキャリアハイの24本塁打を放つなど、打撃に加えてリード面でもチームを牽引した。 2001年以来のBクラスに終わった2013年の雪辱を晴らすため、同年オフに選手兼任監督として就任。チームの再建という大役を任された。 ところが、谷繁の就任後も苦しいチーム状況は変わらず、2016年8月に球団が谷繁の休養を発表。ベンチワークを含め全てがうまく機能しなかったことが、不振の要因とも指摘された。
ベースボールチャンネル編集部