「さようなら、ナゴヤ球場」星野仙一さんも愛した中日本拠地、1948年からの歴史に幕 2軍新球場建設に着手…完成時期や場所は未定
中日の年賀式が6日、名古屋市内の球団事務所で行われ、球団の吉川克也社長はナゴヤ球場の移転による2軍の新球場建設事業に着手していることを明かした。完成時期や移転先などは未定。新施設開場のタイミングは、中日スタヂアムの名称で始まった球団初の本拠地球場の歴史に幕を下ろす時となる。 古くは1軍本拠地として、1997年から約30年間は2軍本拠地として、竜戦士の戦いの舞台となっているナゴヤ球場。スタンドの老朽化や雨水処理の限界などで、改修を重ねるよりも新施設建設が現実的な選択肢となっていた。 吉川球団社長は「ナゴヤ球場は老朽化に伴い、移転の話を本社(中日新聞社)と進めております。時間はかかっておりますが、なるべく早いうちに大枠を固めて発表できればと考えています」と説明した。完成時期や移転先などは未定という。 近年、他球団のファームの施設動向は騒がしい。今年、巨人は東京都稲城市に「ジャイアンツタウンスタジアム」を、阪神は兵庫県尼崎市に「ゼロカーボンベースボールパーク」を開業する。ロッテやヤクルトなども2軍の施設移転を決定。中日球団は既に他球団と連絡を取り、計画から着工までの流れを聞き取りしているという。 新球場は新たな価値を生み出すと同時に、ナゴヤ球場とのお別れとなる。戦後間もない48年、名古屋市中川区に中日スタヂアムとして開場した。火災による建て替えなどを経て、75年にナゴヤ球場の名称に変わった。 ナゴヤ球場には選手寮・昇竜館や中日屋内練習場が隣接している。球団によると、2軍の本拠地球場の移転は決まった。ただ、寮や屋内練習場、加えて1軍本拠地をどうするかは決まっていないという。
54年に故・杉下茂の奮闘で球団史上初めて日本一に輝いたのも、87年に近藤真一(現真市)がプロ初登板でノーヒッターになったのも、翌88年にリーグ優勝を決めたマウンドの郭源治が泣いていたのも、94年に「10・8」で優勝を逃したのも、96年に当時指揮官の故・星野仙一さんが「さようなら、ナゴヤ球場。最高の球場だと思います!」と口にしたのも、全てナゴヤ球場だった。
中日スポーツ