「ウイスキーが、お好きでしょ」誕生のきっかけは急性髄膜炎 杉真理が明かす名曲の秘話
「音楽人生終わった…」 急性髄膜炎が転機に
翌1978年の2月に2ndアルバム「SWINGY」を発売した後に、急性髄膜炎を患い、1カ月の入院加療を余儀なくされた。細菌やウイルスによって炎症を起こし、頭痛や発熱に苛まれる病だ。高速道路で故障したマネージャーの自動車を、雨の中で4時間かけ押したことがたたったという。自身の音楽ライフに、とつぜん訪れた暗闇だった。 「僕の音楽人生、終わったと思いましたね」 だが杉の曲を求める手は各方面から伸びていた。サークルの後輩だった竹内は、11月25日にシングルとアルバム同時発売でデビュー。杉はアルバム「BEGINNING」の2曲を提供した。当初は「人のために曲は書けない」と思っていたが、ソングライターとしての道を開くきっかけにもなった。 さらに、数多くの名CM曲で知られる音楽制作会社「ミスターミュージック」からの仕事も請け負い、数多くの曲を手掛けた。同社を離れた後にも 「ウイスキー…」 ほか、シチズンのCM曲「素直になりたい」(ハイ・ファイ・セット)などにつながる第一歩がここにあった。 「療養中は本当にやることがなくて。でも本当に勉強になりました。CM曲を書くと『もっと分かりやすく!』と書き直しさせられることも多かった。急性髄膜炎にならなきゃやっていなかった勉強でした。自分の曲だと構えてしまう部分もあったけど、CM曲は自分が表に出ない分、いい意味で無責任で自由だった。自分の曲ならイメージがどうとか考えるけどね。とはいえCMのテーマに沿うという制約はあるので、自分のために作る曲の自由さという良さも、後に感じました」
「出会いの才能」アリ
1980年には表舞台に復帰し、本名の「杉真理」名義でシングル「Hold On」とソロアルバム「SONG WRITER」を発売。再び音楽活動が軌道に乗ったところで、大瀧詠一と知己を得た。杉のデビューのきっかけを作った音楽プロデューサーの結婚式に、大瀧が呼ばれていた縁だ。 「(大瀧が所属していた)『はっぴいえんど』が大好きだったので紹介してもらったんですが、大瀧さんはシャイで目も合わせてもらえなかった。でもその後、大瀧さんは僕と佐野君のアルバムを順番に聴いて、3人でのユニットを想像していたらしいです。僕はポプコン以来、佐野君と交流がありましたが、大瀧さんはそんなことは知らずに、音を合わせていたそうです」 それが1982年の「ナイアガラ・トライアングル Vol.2」につながった。名曲「A面で恋をして」はこうした縁から生まれた作品のひとつ。前出の音楽プロデューサーには「杉には出会いの才能がある」と言われた。当時は実感できなかったが、振り返れば「そうだったのかな」と思い当たる節は多いという。 *** シンガーとして、ソングライターとして引く手あまたとなった杉。第2回【2パターンあった「ウイスキーが、お好きでしょ」 名CMソングに杉真理が込めた思い】では、名曲「ウイスキーが、お好きでしょ」の誕生や、音楽でつながった華麗な人脈などについて語っている。
デイリー新潮編集部
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