【社会人野球】「西関東の強豪に打ち勝つ野球がしたい」 復活する日産自動車が狙う初年度からの都市対抗出場
休部の野球部を「守る立場」
2人は09年の休部当時は現役選手だった。32人中15人が他チームへ移籍する中、伊藤氏と四之宮氏は現役を引退し、同社に残った。「廃部」ではなく、あくまで「休部」。つまり、活動を再開する道が残されている状況であり「日産魂」を持った人間が会社に在籍していなければ、野球部復活への熱意も、経営者側には直接伝わらない。休部の野球部を「守る立場」こそが、伊藤氏は「使命」と考えた。 「表舞台で活動する機会をつくってきた」(伊藤氏)と、休部以降も毎年、日産自動車野球部OBによる少年野球教室を開催。「日産復活」を信じ、地元の野球普及に貢献してきた。 「一旦、休部したチームが再び、戻ってくるチームはほぼない。正直、厳しいだろうな、と思いました。あきらめずに、前に進んできたことがつながった。大願成就です。50年の歴史に一度、歩みを止めましたが、再開にあたり、ゼロからのスタートです。その名に恥じないように、OBの方もいますので『オール日産』で野球部を盛り上げきたい」(伊藤氏) 伊藤氏は2022年4月、アライアンスパートナーの三菱自動車に出向し、三菱自動車岡崎野球部のヘッドコーチに就任した。この2年間の経験が新生・日産自動車で生かされるという。三菱自動車岡崎は22年、都市対抗、日本選手権とも代表を逃した。 チームを1シーズン見てきた上で、伊藤氏は改革に着手。「1プレー、1プレーを突き詰めていく部分で物足りなさを感じました。もう一つ、言い続けたのは『明るさを持っていこう!』と。一生懸命やろうとする中で『ミスはしてはいけない』『ここで打たないといけない』と凝り固まっていました。自分の良さを出せていなかったんです。その雰囲気を変えていけたのは、自分の中では大きかった」。 23年は都市対抗に3年ぶりの出場を遂げ20年ぶりの8強進出。日本選手権も3大会ぶりに出場し、チームを軌道に乗せた。「スキのない、粘り強い野球」。日産自動車で培ってきたスタイルが間違いでなかったことを証明した。時代は変わっても、マインドは不変である。 「社会人野球も時代とともに運営方法、練習内容、取り組み方も変わってきています。ただ、根っこは今も昔も一緒です。日産で教わったことを信じてやるだけ。自信はあります」 四之宮氏は社業に専念しながら、母校・青学大のコーチを務め、大学で同級生の安藤寧則監督を支えてきた。今年6月には全日本大学選手権で18年ぶりの日本一に貢献するなど、きめ細やかな選手指導には定評がある。 「14年間、社業に就いて勉強してきたつもりです。人と人とが熱くつながり合える野球部の復活を、心から願っていました。今回、会社がこういう判断をし、感謝しています。一からではなく、ゼロからのスタートで恐怖心もありますが、中身を濃く、強く詰めていき、未来へ向けて、見ている方がワクワクするチームを築いていきたいと思っています」 2024年1月1日付で「本社野球部復活プロジェクト」が発足する。伊藤氏が出向先から日産自動車に戻り、四之宮氏とともに専任として選手スカウトのほか、25年の活動再開へ向けた準備を急ピッチで進めていく。