「岸田リアリズム」が抱える虚実
福田と大平、イメージのねじれ
この宏池会の伝統的イメージとは異なる政策を正当化するために、岸田首相がしばしば用いるのは「現実主義(リアリズム)」という言葉だ。例えば、ある会合で岸田首相は、宏池会について「リベラルなグループだといわれることが多いが、本質は徹底的な現実主義を追求する政策集団だ」と語っている(『日本経済新聞』2023年2月27日) 宏池会出身の政治家は、その時々の国民の声に応えて、経済成長や国際協調など現実に即した政治を行ってきた。自らもまたその伝統を受け継ぎ、第二次世界大戦後、最も厳しい安全保障環境に対峙するための現実主義的な政策をとった、というのが岸田首相の自己認識なのであろう。 確かに宏池会出身の歴代首相の政策を見たとき、現実主義的な考え方が底流にあるのも事実だ。歴史をさかのぼれば、1979年1月にイラン革命が起り、同年12月にソ連のアフガニスタン侵攻が始まるなかで、当時の大平正芳首相は「自由主義陣営の一員」である姿勢を強く打ち出した。それまでの70年代における日本外交の基調は、共産圏に対する外交的地平を拡大していく「全方位外交」であった。だが、大平はソ連のアフガニスタン侵攻は正当化できないとして、COCOM(対共産圏輸出統制委員会)を通じた経済制裁の強化や、パキスタン、トルコ、タイなど紛争周辺国への戦略援助の実施に踏み切った。 デタント(緊張緩和)から新冷戦へと国際情勢の基調が変化するなか、日本外交を新冷戦の現実に適応させたのは、一見タカ派の印象が強い清和会の福田赳夫首相ではなく、リベラル色のある宏池会出身の大平だったのである。 こうした福田と大平に関するイメージと実際の政策のねじれは、プーチン大統領と信頼関係を築き、北方領土返還を目指した安倍晋三元首相と、その安倍政権で長らく外相を務めながらも、対露強硬姿勢を打ち出した岸田首相とのスタンスの違いにも重なる。特定の理念を掲げて、それを政策の推進力とする清和会出身の首相に比べて、状況に柔軟に適応して政策を変化させられるのが宏池会出身の首相の特徴だといえるのかもしれない。