「高速カメラやテレビは、スウィングをはっきり分析することができるが、プレーヤーが何を考えているかはわからない」――ヘンリー・ロングハースト
ヘンリー・ロングハーストは、1909年にイギリスで生まれ、ケンブリッジ大学在学時にはゴルフ部の主将だった。ドイツのアマチュア選手権で優勝したこともある名手だが、のちにサンデー・タイムズ社のゴルフ記者となり、ゴルフ評論家やテレビ解説者としても活躍し、多くの著書を残した。表題の言葉は、彼のエッセイ集“Only on Sunday”(1964年)の中に出てくる名言だ。
映像は事実を映せても、心の中は映し出せない
現在ではテレビなどが普及し、映像で映し出されるプロたちのスウィングをスロー再生でも見られる。そのスウィングの技術的な特徴を目視できることにより、より明確にスウィングを分析できるようになった。しかし、テレビ解説者もしていたロングハーストは、そのときのプレーヤーが何を考え、何を感じていたのかを解説者が勝手に推量し、とやかく解説することには警告を発したかったようだ。 プレーヤーがコースのレイアウトやマウンド、アンジュレーション、風などを見て何を考えてショットしたのか、またそのショットをしたときにどんな感覚があったかなどは、カメラでは映し出されない。 松山英樹プロは、ショットした直後に「ミスをしたような仕草」を見せることがあるが、カメラが追いかけた映像では、ベタピンに寄っていたということが多くある。解説者は「マツヤマの表情や仕草を信用してはいけない」と言ったほどだ。松山プロの感覚では少し完璧でない何かがあったのだろうが、これも、映像が事実を映したものであっても、心の中は映し出せないことの一例と言えるだろう。 自分の感覚と実際のスウィング・結果との乖離は、自分で自分のスウィングを撮影したときにも起こり得る現象だ。例えば、コーチや上級者にアドバイスを受けてアドレスを修正したようなとき、自分では窮屈だったり、ぎこちないスウィングになったりしているように感じてしまうものだ。 ところが、撮影したアドレスやスウィングは、自分の感覚とは違って、オーソドックスでよいものだったりするのだ。この映像が、そのアドレスやスウィングをしっかり自分のものにしようというモチベーションにつながることも大いにある。