死去の西尾幹二氏、昭和末から移民問題に警鐘鳴らす 「多文化社会、実現したためしない」
1日に89歳で死去した評論家、西尾幹二氏は昭和の終わりから外国人の単純労働者導入に慎重論を唱え、平成元年には著書で「労働鎖国」を訴えていた。テレビの討論番組でも孤立無援の中で問題提起するなど、いち早く、また一貫して「移民問題」に警鐘を鳴らし続けた。 西尾氏の産経新聞への寄稿によると、ヨーロッパの事情に精通する西尾氏が外国人単純労働者の導入に慎重論を唱え出したのは昭和62(1987)年。2年後の平成元年には「労働鎖国のすすめ」を出版、版を重ねた。当時出演した「朝まで生テレビ」でも他の出演者らの激しい野次が飛ぶ中、淡々と持論を述べ続けた。 平成初期、「開国派」の有識者は「発展途上国の雇用を助けるのは先進国の責務だ」などと口にしていた。そのとき、ある県庁職員が議会で西尾氏の本を手に、こう訴えたという。 「牛馬ではなく人間を入れるんですよ。入ったが最後、その人の一生の面倒を日本国家がみるんですよ。その対応はみんな自治体に降りかかってくる。私は絶対反対だ」 西尾氏は《この人の証言は…私の本がそれなりに役割を果たしていたことを物語っていて、私に勇気を与えた。私は発言以来、不当な誹謗や中傷にさらされていたからである》と振り返っている。 しかし、その後も政府は「外国人労働者」に門戸を開き続けた。平成30年には人手不足の業界に「特定技能」という在留資格を新設。昨年からは家族帯同の永住も可能になる在留資格へと拡大された。 西尾氏は特定技能をめぐる法改正について、当時の産経新聞への寄稿で《人口減少という国民的不安を口実にして、世界各国の移民導入のおぞましい失敗例を見て見ぬふりをし》たと批判し、こう訴えた。 《「多民族共生社会」や「多文化社会」は世界でも実現したためしのない空論で、元からあった各国の民族文化を壊し、新たな階層分化を引き起こす。…彼らが日本文化を拒否していることにはどう手を打ったらよいというのか》 それから6年。「移民」と日本人の問題に警鐘を鳴らし続けた碩学は鬼籍に入った。