『ポンキッキーズ』でブレイクした鈴木蘭々 2年連続CM女王になるも「やりたいことの引き出しが枯渇して」とった驚きの行動
■『ポンキッキーズ』、楳図かずおさん…夢がかなった ── 低迷期を経て、売れるきっかけは何かあったのでしょうか? 鈴木さん:小さな個人事務所に移籍して、社長とマンツーマンでゼロから営業を始めました。起業のために社長がベンツを売って、家の電話一本から始めたような会社で、社長は営業、私はひとりで現場へ、という日々でした。そんなとき、CMなどの業界でも有名な前田良輔さんの目にとまり、資生堂のティーン向けCMに起用され、その後にドラマ出演など道が開きました。
── 資生堂のCM起用から、ドラマやバラエティ番組に活躍の場が広がっていったのですね。 鈴木さん:そのころ、ずっと出たいと思っていたのが『ポンキッキーズ』。オーディションのためにフジテレビに行き、選考の待ち時間に事務所の社長と休憩のために喫茶店に入ったんです。そこへスタッフさんが来て「何か頼む?」と言われ、メニューを見て珍しかったので「メロンパフェ食べたいです」とオーダーして、その方と楽しくおしゃべりしました。ひとしきりしゃべって、メロンパフェを食べ終わり、「会場に移動しよう」と席を立ったら、そのまま帰されたんです。そこでようやく、さっきまで私が言いたいことを言って笑ってしゃべっていた相手が、『ポンキッキーズ』のプロデューサーだと気づきました。
おそらく、ふだんの自然な状態の私を見て判断するために、通常の会場オーディションではなく、オーディションだと気づかない喫茶店での対面になったのでしょう。「いまのが、オーディション!?」とびっくりしましたが、あとの祭り。でも、大好きな番組なので受かって本当にうれしかったです。 ── その『ポンキッキーズ』では、安室奈美恵さんとコンビを組み、ウサギのぬいぐるみを着た「シスターラビッツ」として、大ブレイク。国民的アイドルとして人気を博しましたが、どんな気持ちでしたか?
鈴木さん:実感がわかず、傍観者のような気持ちで状況を眺めていました。自分はスタジオでカメラに向かっているだけなので、テレビの向こうに何千万人もいると想像できなかったんです。現在はSNSがあるので、発信されたものはすぐに手ごたえを感じられますが、当時はまったく状況が違いましたね。 ── 意外にも売れても淡々としていたのですね。でも、20歳ころに幼少期からの夢をかなえるなんてすごいです。 鈴木さん: 23歳のときに、子どものころからの夢がすべてかないました。ふつうなら、満足感や充足感のようなものがあってもいいはずなのに、そのときも「夢が全部かなうってこんな感じなんだ」と思っただけでした。どこか、いつも冷めている自分がいましたね。