掛布雅之さん「逃げ道のない戦いだから名勝負が生まれた」 著書「虎と巨人」で明かした伝統の重み
プロ野球の巨人と阪神の対戦は、伝統の一戦と呼ばれる。今年、巨人は創設90周年を迎え、同89周年の阪神にとっても本拠地の甲子園球場が開場100周年となるメモリアルイヤーだ。節目の年に発売された阪神OB・掛布雅之氏(68)の「虎と巨人」(中公新書ラクレ、946円)が話題になっている。ファンに愛され続けるミスタータイガースが伝統の重みと、それを受け継ぐ両球団の後輩たちにエールを送った。(島尾 浩一郎) 阪神は昨季、38年ぶりに日本一に輝き、今季は球団初のリーグ連覇を目指している。阪神ファンにとっては野球観戦がより面白くなる一冊で、ライバル球団の巨人ファンにも読み応えのある内容になっている。 「本のタイトルも気に入っているんです。虎と巨人。野生の虎が群れないように、タイガースも昔から群れとして戦うことが苦手なチームでした。その差が巨人の22回と阪神の2回という日本一の回数にもつながっているのだと思います。ただ、その虎が個でなく、塊になった時には1985年のように、ファンの記憶に残るチームとなるのでしょう。去年のチームも見事な団結力がありました。私が現役時代、どういう思いで牙を研ぎ、巨人に立ち向かっていたのか。巨人のレジェンドをどう見ていたのか。若い野球ファンにも読んでほしいですし、普段は野球を見ない人にも読んでほしいです」 「虎と巨人」を読むと当時の選手の思いが伝わってくる。昭和のプロ野球は今より対決色が濃かった。FA制度もない時代は逃げ道が少なく、選手各自が宿命を背負って戦っていた。 「今はFAだけでなく、現役ドラフトなど新しい制度ができて、移籍も当たり前になってきました。チームの看板選手がメジャーに舞台を移すことも可能となりました。でも、私たちの時代はトレードに出される選手は訳ありの印象がありましたし、入団した球団で引退するのが普通で、それが良しとされる時代でした。WBCなど日本代表で他球団の選手と一緒に真剣にプレーする機会もなかったですし、合同自主トレするようなこともありませんでした。それぞれが阪神の4番打者、巨人のエースという十字架を背負い、逃げ道のない戦いを続けていたのです。だからこそ、村山対長嶋、江夏対王、掛布対江川という名勝負と呼ばれるものが生まれたのだと思います」 スポーツ報知の評論家としてだけでなく、テレビ、ラジオでの野球解説で卓越した理論を披露。2年前からYouTubeチャンネルを開設し、そこでも野球を熱く語っている。ずっと野球を見続けて、飽きることはないのだろうか。 「野球というスポーツに飽きたことは一度もありません。同じ場面というのがないからです。例えば私は349本のホームランを打ちましたが、一球たりとも同じ球はありませんでした。景色、吹いている風も違いますし、その一瞬、一瞬が全て違うのです。シーズンが終われば、また新しいシーズンが始まりますし、新しい選手が入ってきます。終わりのないドラマを見ているようなものです」 掛布氏が少年時代に憧れた長嶋茂雄氏はかつて、「野球とは?」と聞かれた際に「人生そのもの、という一言に尽きる」と答えた。同じ問いをぶつけると、「長嶋さんと同じ答えは失礼だしな…」としばらく考え込んだ。出した答えは「憧れ」だった。 「現役を引退した私にとって、グラウンドでプレーしていた掛布雅之は憧れなんです。記者席で試合を見ていて思うことがあります。よくあんな大観衆の中で野球ができていたな。あんな速い球に怖がらずに立ち向かえていたな。あんな速い打球を捕ることができたな。自分のことながら信じられない思いです。その尊敬の念は今の選手に対しても持っています。どれだけの準備を経てあの場に立っているのか。リスペクトの気持ちは忘れずに野球解説の仕事を続けています」 サイン色紙に添える言葉「憧球」は掛布氏の造語だ。伝統を引き継ぎ、ファンを魅了した男は、今も野球に憧れ続けている。 ◆掛布さんが選ぶおすすめ一冊 ▽黒川博行「破門」(角川文庫) 読書するのは移動の新幹線や飛行機の中です。スポーツのノンフィクションも読みますが、リラックスして読めるものが好きです。黒川さんの小説は、阪神の先輩の江夏豊さんに薦められて読み始めました。単行本はほぼ読破したと思います。特に「疫病神シリーズ」が大好きで、一番のお気に入りが直木賞受賞作のこの作品です。 大阪を舞台としたハードボイルドで、実際の地名が出てくるので描写が絵のように浮かんできます。そして、疫病神シリーズの名コンビ、ヤクザの桑原と、建設コンサルタントの二宮が最高なんです。大阪弁の軽妙な会話がテンポがあるし、隠語を織り交ぜて、リアリティーを感じさせられます。実際に存在しそうな裏社会の悪党がたくさん登場してきて、ページをめくる手が止まらなくなります。 私は新潟で生まれて、高校まで千葉で育ちましたが、今ではすっかり大阪人になったと自覚しています。東京で仕事をして大阪に戻ると、「帰ってきた」と思うほどですから。だから黒川作品の大阪弁の会話が心地良いのでしょうね。(談) ◆掛布 雅之(かけふ・まさゆき)1955年5月9日、新潟・三条市生まれ、68歳。千葉・習志野高で2年夏に甲子園出場。73年ドラフト6位で阪神入団。85年に不動の4番・三塁として球団初の日本一に貢献。88年限りで引退した。本塁打王3回、打点王1回。通算1625試合で1656安打、349本塁打、1019打点、打率2割9分2厘。16、17年は阪神2軍監督。現役時代は175センチ、77キロ。右投左打。
報知新聞社