関西学生リーグ1部昇格の京都橘大・橋詰監督 病気を克服し監督就任して8年で1部リーグへ導く!
京都橘大学サッカー部が、去年秋、関西学生リーグ1部昇格を果たしました。 20年前に出会った監督と教え子がサッカーを通して紡いだストーリーです。 朝7時、冷たい雨が降るグラウンドで、傘もささずに声を張り上げているのは、京都橘大学サッカー部監督、橋詰広太郎さんです。 2016年、サッカー部が大学の強化クラブの指定を受けたのを機に監督に就任しました。 【声】京都橘大学 橋詰広太郎 監督 「強化クラブ指定になって13人の部員が残った。 朝7時から練習をしていたので、毎回来るのが8人とか・・・」 現在の4部に該当する関西学生リーグで、13人の部員と共に始めたチーム作り。 その時から求め続けた"橋詰スタイル"。 【声】京都橘大学 橋詰広太郎 監督 「8年経ったのですが、1年目から"ボールを大切にしながら攻撃的なサッカー"です。 1年目に来た選手も今の選手も同じことをやっている」 去年11月、チームにとって大きな歴史を刻みます。 12チームで争う関西学生リーグ2部の最終節。 2対0で龍谷大学に勝利を飾り、1部リーグへの昇格を決めたのです。 橋詰さんは選手たちの輪の中心で宙に舞いました。 これまでも橋詰さんは、京都橘の歴史を作ってきました。 2006年の第85回全国高校サッカー選手権京都大会。 その冬、橋詰さんは、京都橘高校のキャプテンとしてチームを引っ張りました。 あと一歩、全国大会出場の夢はかないませんでしたが、京都大会初の決勝進出は、その後のチームの礎となりました。 自ら選んだ京都橘高校への進学! 【声】京都橘大学 橋詰広太郎 監督 「両親が京都橘高校の太陽が丘での試合を見に行った。 その時、11対0くらいで洛北高校に負けていたのを見て、そんな高校に行かない方がいいのではと言われたこともあった」 日本高校選抜の監督として欧州遠征中にもかかわらず、教え子のためならばと、京都橘高校サッカー部の米澤監督が当時を振り返ってくれました。 【声】京都橘高校 米澤一成 監督 「中学3年生(桃山中学)の時に見た印象です。 デフェンスラインからコーチングできる選手。 是非、京都橘でサッカーをしてもらいたい。 一緒に歴史を作ろうと勧誘をした」 その後、大学を卒業した橋詰さんは、2011年、京都橘高校のコーチとして母校へ戻ります。 そして2年後の2013年1月、恩師の米澤監督と共に、第91回全国高校サッカー選手権で準優勝に輝きます。 しかし、その年の10月、橋詰さんに病魔が襲います。 【声】京都橘大学 橋詰広太郎 監督 「腰が痛くて立てなくなって、そこから病院へ行って、検査をしてもらったらガンだった」 精巣腫瘍が発覚! 【声】京都橘高校 米澤一成 監督 「橋詰コーチからガンになったと、大病になったと報告を受けた。 キャプテンはちょうど今、柏レイソル(J1)にいる小谷松の代でした。 前年度全国準優勝、ことしは優勝を狙うという年でしたので、これはコーチがひとり欠ける。 橋詰コーチが欠けるというのは、本当にチームとしてマイナス要素でしかなかった。 なんとか考え方を変えてというか、"橋詰コーチのために全国優勝するのだ"と。 トップチームだけ集めて私も演説をした記憶があります。 もし負けてしまって、橋詰コーチが大病になっていると選手が聞いたら・・・。 私が選手だったら何で先に言ってくれなかったのかと思う。 先にAチームだけは背負えという話をして、選手全員泣いてミーティングルームから出て行って・・・」 合言葉は「橋詰コーチのために」 京都橘高校は、前年度、準優勝校としてのプレッシャーを跳ねのけ、全国3位に輝いたのです。 それは、なにより橋詰さんに勇気を与えました。 病気を克服して、2016年、大学の監督に就任。 その後、8年かけ関西のトップリーグへチームを導いたのです。 【声】京都橘大学 橋詰広太郎 監督 「京都橘というチームとサッカーというスポーツに救われた。 そこは一番病気を克服できた理由なのかなと思う。」