日本のデジタル化を20年早めたのは“コロナ禍”だった インターネットの父・村井純氏は“ネットに強く依存する社会”をどう見ているのか
技術の普及には膨大なエネルギーが必要
それがCOVID-19によって「テレビ電話」のニーズが急激に高まったことで、ソフトの使いやすさや回線環境が大きく改善され、一気に世に浸透したわけです。ふつうならネットを使いこなすのが一番遅くなりそうな高齢者施設で暮らす方々が、いの一番にZoomを使うようになったのですから、通常ではあり得ない急変です。 ただし、変化のスピードが速すぎたゆえに、混乱が生じたことも否めません。デジタル化という観点においては、COVID-19はよく“追い風”とたとえられますが、私は“暴風”だったと思いますよ。その変化についていけず、お困りの方がたくさん出てきたことも、忘れてはいけない。 福沢諭吉が「新しい技術が新しい社会をつくる」という文明論を唱えていましたが、それと同時に、「新しい技術によって人々は狼狽する」とも指摘していました。COVID-19によって、結果的には我が国の「インターネット文明」は大きな発展を遂げたということは言えると思いますが、そこには“良くも悪くも”という枕詞がつくのもまた事実かと思います。
トライ・アンド・エラーの先に
利便性の向上のためにつくられたテクノロジーには、アブユーズ(悪用や濫用)が付き物です。 たとえばX(Twitter)などのSNSも、みんなでタイムリーに呟きを共有できれば楽しいだろうという思いでつくられたはずですが、詐欺や誹謗中傷などの「悪用」、あるいは政治的な目的で特定の利益誘導を行うなど、「濫用」の形で使われてしまっている側面があります。 しかし、だからといってSNS自体を悪者扱いするのは極論すぎる。 かつて、ネット上の掲示板で誹謗中傷が問題になった際、掲示板そのものの存在が疑問視されたことがありました。それが今日では、その問題の本質はプラットフォームではなく「人」にあることをもうみんな知っている。だからSNS上で誹謗中傷が問題になった際は、「SNSを使ってはいけない」という短絡的な議論にはならず、誹謗中傷を厳罰化する方向に社会が動いていった。 つまり、「技術」で可能性を広げ、その先に何かしらのエラーが発生したとしても、そこに「社会」として対応できる世の中になってきていると思うのです。新しいテクノロジーによって問題が起こったら、そのテクノロジーを毛嫌いするのではなく、「どうすればその問題を解決できるか」に目を向けることが大事。こうしてトライ・アンド・エラーを繰り返す先に、より豊かな社会があるのではないでしょうか。 〈第2回の記事【「コタツ記事」の氾濫が「ジャーナリズム」を駆逐…インターネットの父・村井純氏が警鐘を鳴らす「プラットフォーマー」の使命と責任】では、クリック広告だけを目的とした低品質なコンテンツがあふれる「PV至上主義」の現状や、村井氏が愛する「マンガ」のデジタル化などについて論じている〉 ◎村井 純(むらい じゅん) 1955年生まれ。工学博士。1984年に東京工業大学と慶應義塾大学との間で日本初の大学間コンピュータネットワーク「JUNET」を設立。88年にはインターネット研究コンソーシアム「WIDEプロジェクト」を発足させるなど、国内のインターネット網の礎を築いた「日本のインターネットの父」として知られる。著書に『インターネット』『インターネット新世代』(ともに岩波新書)など。2024年9月には『インターネット文明』(岩波新書)を上梓。 デイリー新潮編集部
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