遺志継いで寄席の継続を 飯田で左近さんお別れの会【長野県】
市民落語鑑賞会「おいでなんしょ寄席」の実行委員会は20日、昨年12月に亡くなった寄席文字書家、橘左近さん(享年89)=長野県飯田市扇町出身=との「お別れの会」を高羽町の飯田文化会館で開いた。関係の深かった20人が出席。34年にわたって同寄席のプロデューサーを務めた左近さんの思い出を語り合い、地域寄席を続ける誓いを立てた。 祭壇には書家名の由来となった「右近の橘 左近の桜」にちなんで桜の花を飾り、献花と黙とう、献杯に続いて1人ずつ思い出を語った。 扇町で飲食店「扇屋」を営みながら、世代を超えたふるさとの仲間として左近さんと親しく交流した女性は、昨年12月6日に開いた44回寄席の成功を見届けたかのように、6日後に左近さんが他界したこと、その後の家族とのやりとりを振り返ったほか、左近さんが刻んだ寄席文字の表札は、今も自宅玄関口で親子を見守っていると話した。 おいでなんしょ寄席創設者の一人だった故篠田靱彦(ゆきひこ)さんの妻は「主人は落語家になる夢がかなえられなかったが、左近師匠との縁ができたおかげで飯田に落語文化を広めることができた」と感謝した。 初期の世話人だった故松澤洋一さんの長男で、焼き肉店「駱駝屋」を母と営む男性は「左近師匠とは面識がないが、多くの常連さんから伝え聞く師匠と父の話を聞いておきたくて」と出席。「飯田の中でのつながりが県外にも広がり、おいでなんしょ寄席の価値が都会にも伝われば」と今後に期待した。 都内在住の左近さんの長男のメッセージも披露され「飯田の町と人、酒が大好きだった父の遺志を受け継いでいただき、おいでなんしょ寄席が末永く続くことを心から願っている」と落語会の継続を願う気持ちを伝えた。 第45回寄席は年内に開く予定。