「模擬原爆」投下から70年 大阪東住吉の爆心地跡で追悼式
模擬原爆を知り、自らの広島被爆体験を語る人も
式典参加者の中には、広島県の原爆で被爆し、現在は大阪市住吉区在住の飯田清和さんも参加。「当時は原爆ドーム近くの学校運動場で朝礼中に被ばくした。そのことを長年、家族にも隠していたが、妻には毎年8月6日に手を合わせている姿を見て聞かれたので話しました。妻は『そんなん全然気にしない、最初から言うてくれたらいいのに』と言ってくれた」と話した。 飯田さんは、隣接する東住吉区で吉村さんらが田辺の模擬原爆を伝えようとする姿を見て、自分が広島で被爆したということを明かし、現在は「忘れられない忘れてはならないヒロシマ被爆者」の語り部として活動している。「こうしたことで、若い方々にもこの事実を知ってもらえれば」と続け、黙祷を行った。
東日本大震災で南相馬から避難の女性も参加
会場には、模擬原爆投下跡地近くで夫が鍼灸治療院を営む加藤清恵さんも参加。加藤さんは4年前の東日本大震災で、南相馬市の自宅が被災。近くに福島第一原発があったことから、家族全員で避難し、着の身着のまま知り合いの応援などをへて東住吉区へ避難した。 加藤さんは「模擬原爆が福島県の人口の多い町3か所で落とされていたことを知りびっくりした。皆さんの話しを胸が詰まる思い」などと話しながら言葉を詰まらせながらもあいさつした。 模擬原爆を伝えようと奔走する吉村さんは追悼式終了後「まだ、模擬原爆のあの現場を知っておられる方がいると思う。もしよろしければ、その時の様子を私たちに教えてほしい」と話していた。