おいしい映画鑑賞『2人のローマ教皇』
映画やドラマに登場する「あのメニュー」を深掘りする連載。第44回は実話をもとにしたバチカンが舞台の物語です。
ローマ教皇と枢機卿の会話劇である本作。2012年に実際に起きた出来事がベースになっており、モデルも実在の教皇たちである。カトリック教会の最高司祭であるローマ教皇が暮らすバチカンの日常が描かれ、枢機卿(教皇を補佐する最高顧問の役職者)とのやりとりから聖職者たちの人間性が浮かびあがり引き込まれる。 アルゼンチンのホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿(ジョナサン・プライス)は教会の方針に不満を持ち、辞任の意向を固めていた。しかし当時バチカンはスキャンダルに揺れ、ローマ教皇ベネディクト16世(アンソニー・ホプキンス)は耳を貸そうとしない。そんな中ベルゴリオは教皇と直接会うため、ローマへ向かう。 二人は同じカトリックの聖職者ながら全くタイプが異なる。保守派の教皇と進歩派のベルゴリオが、議論し心情を吐露し合いながら、やがて互いを深く理解し合うようになる。その過程が二人の会話を通して描かれる。 二人の違いが如実に映し出されるのが、食べ物である。まず、ベネディクト教皇の別荘であるガンドルフォ城へ赴いたベルゴリオは、そこで饗された夕食に驚愕する。 遠方からの客人がいるにもかかわらず教皇自身は姿を現さず、一人で食事を摂るという。ベルゴリオの部屋に「聖下の母上のレシピです」と、教皇と同じ料理が運ばれてきた。 磨き込まれたシルバーの蓋つき銀食器を、従者がうやうやしく両手で捧げ持ち運び込む。ベルゴリオが蓋を取ると、現れたのは丸く黄色い団子がふたつ。 教皇の故郷、ドイツ・バイエルン地方の郷土料理であるクヌーデルだという。じゃがいもが特産のドイツらしい家庭料理で、茹でて裏ごししたじゃがいもを小麦粉と混ぜ団子状にして茹でたもの。味付けは塩コショウ、ナツメグだけの究極のシンプルメニューだ。しかも、本来は肉などメイン・ディッシュの付け合わせにするもので、教皇はこの質素な料理をたったひとりで食べているらしい。 いかに保守的で厳格なカトリックの教皇とはいえ、この食事はあまりにストイックすぎるのではないか。にぎやかにおしゃべりしながら食事をするのが好きなベルゴリオは、驚きのあまり思わず肩をすくめた。皿に顔を近づけて匂いをかいでみても、特別な味付けでもなさそうだ。料理を運んできた女性と顔を見合わせ、「なんとも……」と言葉に詰まって眉間に皺を寄せ、ついに笑い出してしまう。「わかります」と、従者の女性も苦笑い。 一方、ベルゴリオらしさも食べ物にしっかり表れている。サッカーを愛するアルゼンチン人であり、ラテン気質の彼が好む料理はピザである。 教皇とともにバチカンに移動した後、市内をひとり歩くベルゴリオ。きょろきょろしながら探し当てたのは、町中のコーヒースタンド。まずコーヒーを注文し、こうたずねた。 「ピザは?」 「焼きたてじゃない」、と返されても嬉しそうにうなずき、立ったままエスプレッソを飲み干した。カウンターに身体を預ける枢機卿は、自然体で親しみに溢れている。 そんな二人の会話が紡がれ、次々と明かされる人生のヒストリー。聖職者の道に進むため、大切な恋人と別れた若き日のベルゴリオ。一個人の幸せを手放した彼にとって、唯一の楽しみがサッカーであり、試合観戦に欠かせない食べ物がピザなのだ。 一方ベネディクト教皇は音楽の才能があり、見事なピアノの腕前を持つ。リラックスしてピアノを奏でる教皇の傍らで、自ら注いだ赤ワインを楽しそうに飲むベルゴリオ。二人が重い責務から解き放たれたわずかな瞬間、音楽とアルコールが媒介になり、素のままの人間同士になって打ち解けていくシーンが深く心に残る。 そして物語の終盤に登場するのがまたもピザである。熱心に対話を重ね、空腹を覚えた二人。そこでベルゴリオは、町で立ち寄った、あの何気ないコーヒースタンドのピザをテイクアウトしてほしいと従者に頼むのだ。観光客が押し寄せる荘厳な礼拝堂と壁ひとつの控えの間に、届けられたファンタと箱入りのピザ。食前の長い祈りをささげる教皇と、待ちきれずそわそわするベルゴリオの対比がまた面白い。そして二人は四角形にカットされたピザをナプキンに載せ、バリバリと音を立てて食べる。その音が天井の高い部屋に響く。 一枚のピザを分け合いながら、さらに話を続ける二人。いまやすっかり打ち解けたベネディクトとベルゴリオの間をピザがしっかり繋ぎ留めている。血の通った二人の人間の、あたたかく美しい食事シーンである。 おいしい余談~著者より~ ベネディクトにピザを買うように頼まれた従者が注文したのは、マルゲリータとディアボラ。ディアボラは「悪魔的な」という意味ですが(おいしすぎるからとの由来あり)、そんなきわどい名前のピザをさらっと注文するところに、ピザの本場らしいウィットを感じます。 文:汲田亜紀子 イラスト:フジマツミキ
汲田 亜紀子