昔は梅田駅と堂島川をつなぐ堀があった!?水運のために造られた川の跡を巡る旅
兵糧を運んだ記録も 大阪城の東側にある「猫間川」
続いて訪れたのは、中央区。 (道マニア・髙山英男さん) 「大阪城の東側を"猫間川(ねこまがわ)"が流れていて、一時期は(城の)堀に使われていた。どこが水源か調べたい」 大阪城の東に位置する猫間川抽水所から南下し、かつて流れていた「猫間川」の上流を目指します。「近代化による下水道整備で暗渠にしたのではないか」と予測する髙山さん。 探索していると、川にまつわる旧町名の由来が書かれた継承碑を発見!さらに、玉造(たまつくり)駅の近くには、交差点に佇む欄干や、橋の名前「石橋」が書かれた石碑も。 「猫間川」に架かっていた「石橋」の正式名は「黒門橋」。大阪城の黒い門にちなんで名付けられたのだとか。当時では珍しい石造りで、大阪城の石垣を使って造られたと言われています。 玉造駅付近は、かつて江戸幕府と豊臣家が争った「大坂の陣」の激戦地。戦の際に猫間川を利用して、兵糧を運んだことが記録されています。 髙山さんは、桃ヶ池(ももがいけ)が猫間川の上流ではないかと予測し、わずかな手がかりをヒントに探索。残念ながら水源を見付けることはできませんでしたが、この街と歩んだ歴史の名残を随所で見ることができます。 12月12日(火)午後11時56分放送 CBCテレビ「道との遭遇」より
CBCテレビ