「統一独立の琉球なかった」 石井氏が新説、第一尚氏も否定
長崎純心大の石井望准教授が、歴史的に統一独立の「琉球王国」は存在せず、1429年とされる「三山統一」後も群雄割拠の時代が続き、中山の尚氏が東南アジアに貿易を拡大して「琉球大交易時代」が到来した、とする新説を発表した。 15世紀の琉球は山北(本島北部)、中山(本島中部)、山南(本島南部)の3勢力が覇権を争い、中山の尚巴志が1429年に三山を統一したことで琉球王国が誕生したとされている。 ただ①尚巴志が統一を誇った痕跡がない②南山から明国への遣使が途絶えたものの、南山が滅亡したとする史料がない―ことを論拠に、昭和末、和田久徳教授(お茶の水大)が統一事業はなかったとする説を提唱したことがある。 石井氏は三山統一の事実について、1456年に成立した明国の史書で推測されているに過ぎないが、その後、1466年に明国、1525年に日本を訪れた琉球関係者が三山統一を否定していると指摘した。 三山統一が理由とされる南山の明国への遣使終了も、琉球で群雄割拠していた勢力が宦官(かんがん)と共謀して貿易利権を壟断(ろうだん)した時代が終わり、明国と中山の貿易のみに縮小された結果と見る。 「琉球で群雄割拠していた勢力が明朝に対して貿易を縮小させられた代わりに、南洋(東南アジア)に貿易を拡大したのが、琉球大交易時代。南洋貿易の立役者が中山の宰相・懐機だ」(石井氏)とする。 尚巴志の血統とされる第一尚氏も実態はなく、有力豪族が対外的に尚巴志の血族を称していただけで、宰相・懐機と第6代国王の尚泰久が「実は同一人物」とするのも石井氏の新説。 石井氏は「懐機が越来(沖縄市)の勢力の頭領として、越来の西側に開いた貿易港が座喜味城下の長浜港だ」と主張した。 大貿易時代の長浜は泡盛、花織、陶器、舞踊などの東南アジア風の琉球文化の起源にもなったという。 石井説では、統一された独立国としての琉球王国は存在しなかったが、15世紀後半から島津氏の圧迫で尚氏を中心としたまとまりを見せ始める。最終的には島津氏の侵攻を受け、薩摩藩(日本)に併合された形での統一が実現したという。 石井氏は新説を説明するため、5月末に那覇市で記者会見。今月2日には読谷村の座喜味城跡を視察した。取材に「統一独立の琉球は一度も存在しなかった。琉球王国が存在したことを理由とする『琉球独立論』は、歴史的にも根拠がないことは明白だ」と話した。