天皇陛下85歳 誕生日会見 (全文) 平成が戦争なき時代として終わろうとして安堵
第2次世界大戦から平成を振り返って
第2次世界大戦後の国際社会は、東西の冷戦構造の下にありましたが、平成元(1989)年の秋にベルリンの壁が崩れ、冷戦は終焉を迎え、これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。しかし、その後の世界の動きは必ずしも望んだ方向には進みませんでした。世界各地で民族紛争や、宗教による対立が発生し、またテロにより多くの犠牲者が生まれ、さらには多数の難民が苦難の日々を送っていることに心が痛みます。 以上のような世界情勢の中で、日本は戦後の道のりを歩んできました。終戦を11歳で迎え、昭和27(1952)年、18歳の時に成年式、ついで立太子礼(りったいしれい)を挙げました。その年にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本は国際社会への復帰を遂げ、次々とわが国に着任する各国大公使を迎えたことを覚えています。そしてその翌年、英国のエリザベス2世女王陛下の戴冠式に参列し、その前後、半年余りにわたり諸外国を訪問しました。 それから65年の歳月が流れ、国民皆の努力によって、わが国は国際社会の中で一歩一歩と歩みを進め、昭和28年に奄美群島の復帰が、昭和43(1968)年に小笠原諸島の復帰が、そして、昭和47(1972)年に沖縄の復帰が成し遂げられました。 沖縄は、先の大戦を含め、実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、私は皇后とともに11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることがありません。 そうした中で平成の時代に入り、戦後50年、60年、70年の節目の年を迎えました。先の大戦で多くの人命が失われ、また、わが国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民の弛みない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にも、このことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています。 そして、戦後60年にサイパン島を、戦後70年にパラオのペリリュー島を、さらにその翌年、フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは、忘れられません。皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。