読書は恥ずかしいと感じていた少年が、三島由紀夫「金閣寺」に出会ったとき……平野啓一郎さん
「文学に関心を持ち始めた時に道案内のような機能を果たしてくれた。詳細に作品を分析していて、憧れに近い感情を抱いた。古今東西の文学が豊かに混ざり合っていて、そういう三島が好きだった」
フロベール、トーマス・マン、ゲーテ。三島の読書の足取りを追うように、文学の森へと深く分け入った。14歳で読んだ『金閣寺』は「正直、難しくてあまりよくわからなかった」が、三島が好んだ海外文学に触れた後に再読すると「はるかに内容がよく分かるような気がした」と話す。
「文学は、一つの小説がポツンと真空状態の中に存在してるわけじゃない。世界文学の大きな森のようなものに有機的に結びついて一つの作品が生み出されることが朧(おぼろ)気(げ)ながら分かった」
小説家志望に
バブル経済が絶頂を迎え、時代は90年代に入っていた。都会の狂騒には、反発心にも似た感情を持っていた。「東京がバブルでクレイジーだった時代で、そういう様子を田舎からテレビで見てると、大人は金の亡者みたいで、若者はディスコで踊り狂ってて」
京都大に進学し、文学部ではなく、法学部を選んだ。京都へ引っ越す時、実家に本を全て置いていき、文学とは離別しようとした。「小説を読み続けていると、自分が救われる思いはあったけど、友達との距離で言うと、ますます孤独になってる気がして」
だが、ほどなくして、文学の魅力に引き戻されていく。京都の書店には九州では見たことのないような本が多く並んでいて、熱心な学生の書き込みが残る古本もあった。
世紀末の閉(へい)塞(そく)感が平野さんに筆を握らせた。「今度は小説家になりたいと考えるようになった」。大学在学中に、新潮社の文芸編集者に宛てた17枚の便箋が運命を変える。「三島由紀夫の再来」と呼ばれ、華々しく文壇に登場したのは、その直後のことだった。(真崎隆文)