<高校野球>センバツ出場の父の前でプレー「少しは恩返しできた」 4強進出の明豊・野上選手
第91回センバツ第10日の2日、明豊(大分)は習志野(千葉)に4―6で敗れ、惜しくも決勝進出を逃した。明豊の野上真叶(まなと)選手(2年)は、平成元(1989)年の第61回大会に出場した父久生(ひさお)さん(47)の教えを胸に大舞台に立った。自身は打席で結果を出せなかったが、甲子園でチームは初の4強に進出し「少しは恩返しできた」。全4試合をアルプス席で応援してくれた父を思い、平成を締めくくる大会を後にした。 久生さんは別府羽室台(大分、統合で閉校)で捕手としてプレーし、3年時にセンバツ出場を果たした。東邦(愛知)との初戦で途中からマスクをかぶった。「地に足が着いておらず、あっという間に終わってしまった」。この大会で4回目の優勝を果たす強豪に0―6で敗れた。 社会人になってからも、勤務先の軟式チームの監督を務めるなど、野球に関わり続けた。長男の野上選手が生まれると、3歳の時からキャッチボールを教えた。 明豊に進んだ野上選手はティーバッティングで1日500回以上バットを振り、打撃を磨いた。昨秋は1年生ながら公式戦で4割超の打率を残し、センバツ出場に貢献。「軸足に体重を残すコツや、ミスした仲間に声をかけようという助言は、今も生きている」。父への感謝を口にする。 先月31日の準々決勝。明豊が延長サヨナラ勝ちした直後の試合で、東邦も4強入りを決めた。「東邦と当たったら、リベンジしてくれ」。父から無料通信アプリ「LINE(ライン)」で託され、「おう」と短く返した。 準決勝は7番・左翼手として先発出場。2点を追う八回2死三塁の好機に、快音を響かせることはできなかった。試合後、父から「課題があるな」とメッセージが届いた。 それでも、父の前で、そして大観衆の前でプレーできたことは大きな経験だったと感じている。悔しさを残しつつ、前を向いた。「夏にまた、ここで戦う姿を見せたい」【田畠広景】