「社内9割9分が反対だった」市営フェリーのうどん店 15分の航路で提供、口コミで人気の一杯に
船旅とはいいものだ。風景はゆっくりと移ろい、時間は穏やかに流れる。時に甲板に出て潮風を浴びるのも心地よい。でも、鹿児島市の鹿児島港と桜島を結ぶ市営フェリーはちょっと様相が違っていた。そもそも15分の航路。さらにゆっくりできない理由は、船に名物うどん「味の長老 やぶ金 桜島フェリー店」があるからだ。 【写真】無駄のない動きで次々にうどんを提供していく厨房の様子 8月下旬のある日、鹿児島港に到着するとターミナルは多くの人たちでにぎわっていた。地元の生活の足である桜島フェリーは、4隻の船を使い1日50往復以上、ピストン運航している。乗船予定の便が着岸すると、まずは桜島からの客を降ろす。入れ替わるように桜島行きの客が乗り込んでいった。普通なら最前列の席や甲板を目指すが、ここではいきなり「うどん」に向かう人も少なくない。 客席フロアの中央にある店からは良い香りが漂い、待ちの列ができていた。厨房(ちゅうぼう)を見やると、1人で回す星原教文さん(53)の手際のよさに驚いた。ゆで置きの麺を、湯がいて温め直し、スープ、トッピング、ネギを載せる。そしてお勘定。その間わずか30秒。感心する間もなく、もう次の調理を始めていた。 「食べるためだけにフェリーに乗る方もいます」と星原さん。航行時間の15分に出航前の準備も含めて片道30分程度。その間に多いときで65杯ほどが売れる。かつて、行きに3杯、帰りに2杯を平らげたつわものもいたらしい。 窓際の特等席でうどんをすする高瀬由起子さん(42)親子に声をかけた。鹿児島市出身で高校時代にこの一杯を知って以来のファン。今は東京在住で帰省のたびに食べるという。小学5年の尚希さんは「柔らかい麺が汁を吸っておいしい」と満足げ。この日は桜島に遊びに行く途中といい、高瀬さんは「朝食食べてきたのに別腹。帰りももちろん食べます」。 思わず食べる、あったら食べる。まさに地元のソウルフードなのだ。 □ □ やぶ金は1952年、鹿児島市中心部で大衆食堂として始まった。 「50代以下の方にとっては『フェリーのうどん』ですが、ご年配の方にとっては天丼の店なんです」。やぶ金を運営する「新徳産業」社長の新徳慎(まこと)さん(50)は教えてくれた。 創業者は、新徳さんの大叔父にあたる勲さん。若い頃から和食の料理店で働き、東京・神田の老舗「かんだやぶそば」で修業したという。帰郷して開業したやぶ金でも、そばやうどんを出したが、一番の名物は大エビが載る天丼。隣にあった百貨店「山形屋」の帰りに寄るような、ちょっとぜいたくな一品として親しまれていた。 フェリーへの進出は新徳さんの父、國公さん(82)の仕事。「東京の立ち食いそば、うどんを鹿児島にも広めたい」との思いで、合併前の桜島町が運営していたフェリーに目を付けた。 船でうどん? 15分しかないのに? 「社内の9割9分が反対だったそうです。でも父は行動力の人でした」と新徳さん。桜島町長に直談判。議会の議決も取り付けて1981年に桜島フェリー店を出した。 最初は店が甲板にあり、千円札が風にあおられて飛んでいくこともあったそう。「千円ならまだしも、1万円だと気の毒で…。錦江湾にはお札が眠ってますよ」と新徳さんは笑う。 最初の年こそ全く売れなかったそうだが、乗客のトラック運転手らの口コミで広まり、いつしか人気の一杯になっていた。 □ □ 船上での取材も一段落した頃、遠くにあった桜島が近づいていた。急いで店に戻り、定番の「やぶ金うどん」注文をした。 星原さんから丼を受け取って甲板へ。まずはスープをゴクリと飲んだ。鹿児島のしょうゆは総じて甘いが、このスープはいい塩梅だ。日高昆布や、地元・枕崎産のかつおを中心とした6種の節でとっただしはすっきりで後味が良い。麺はゆで置きだが、博多うどんのそれとは違い、若干のもっちり感も残していた。 「だしは大叔父時代からのもの。『舌に残る味が嫌でさっぱりにしたい』と甘さは控えめ。麺は日々研究して進化させています」 食べながら新徳さんの言葉を思い出す。 「一番の薬味は桜島、錦江湾が見える景色と潮風ですよ」 確かにそう思う。やさしい甘さとだし。さっぱり味だからこそ、その薬味も余計に引き立つ。いつの間にか、雄々しい桜島が眼前に迫っていた。(小川祥平、カット・ちえちひろ)
味の長老 やぶ金 桜島フェリー店
鹿児島港桜島フェリーターミナル(鹿児島市本港新町4の1)から乗船する。鹿児島港からは午前8時~午後4時40分(土日祝は午後5時)発の便、桜島港からは午前8時25分~午後5時5分(土日祝は午後5時半)発の便で営業している。フェリーの運賃は大人片道250円。