旧石破派所属の自民・八木哲也氏 首相の総裁選勝利に「涙が出る」も1カ月後に落選の悲哀
石破派は令和3年12月に解散し、他派閥との掛け持ちも可能な議員グループに移行した。さらに何人かのメンバーが首相のもとから去った。八木氏は解散話が浮上した同年11月、男女関係に例えて、周囲にこう語っていた。
「石破と心中する。別れたいと思うときがあるかもしれないが、一緒になると決めたら、向こうが別れ話を切り出さない限りは一緒にいるもんだ」
首相は今年9月、総裁選に勝利した。石破派が結成されてから3回目の挑戦だった。
「その瞬間はメチャクチャうれしいよ。今まで負け続けたんだから。正直いって涙が出る思いだった。それ位感激したね」
「冷や飯」暮らしから解放されたとの思いもあったのだろうか─
「(主流派に所属していたら)自分の希望する役職を得られたかも分からん。でも自分が貧乏くじを引いたとも思わない。どんなことでもみんな大事な仕事なんだよ。やりたい仕事を先に取られても、残った仕事で生きる部分があるからね」
■苦難待ち受ける首相に「泰然自若で」
日本を明るくする会の後継人事も決めた。環境副大臣として関わった仕事に未練もあるが、今後は地元で無官、無償で暮らすつもりだという。
10月31日夜。八木氏は議員宿舎に近い東京・赤坂の居酒屋で何人か親しいメンバーを呼び、東京で〝最後〟の夜を過ごした。半ば冗談で、誘いの声をかけた首相もSP(警護官)を伴って、約50分滞在した。個室もなく、一般のお客もいる「下町風」の居酒屋だ。警護の立場上、時の首相が訪れることは異例といえる。八木氏は「わざわざ来てくれたことが、最大級の感謝の気持ちだ」という。
一方、首相を巡っては、衆院選大敗の責任は首相の判断にも起因するとの声がくすぶっている。
総裁選で衆院解散に当たっては国民に判断材料を提示するため予算委員会の開催を必要としたが、主張を翻し、公認を見送った候補者の了解を得ないまま2千万円の活動費を党執行部として支給し、批判を浴びた。
就任1カ月で苦難が待ち受ける首相。八木氏は「シンプルに、泰然自若であればいい」と述べ、「自民党もまとまらないと。(主流派と非主流派で争うような)時代じゃないよ」と漏らす。(奥原慎平)