石破茂政権は「30年前の永田町の悲劇」と同じ道を辿っている…「政治とカネ」に翻弄される日本の政治家の愚かさ
石破茂総裁下での衆院選で、自民党は大幅に議席を減らした。週刊文春、月刊文藝春秋の編集長を歴任した鈴木洋嗣さんは「1993年、非自民8党派の連立政権である細川内閣が誕生したが、政権基盤が脆弱だったために短命で終わっている。政治とカネの問題に追われ、バブル崩壊時に手を打てなかった30年前と同じことを繰り返してはならない」と警鐘を鳴らす――。 【この記事の画像を見る】 ※本稿は、鈴木洋嗣『文藝春秋と政権構想』(講談社)の一部を再編集したものです。 ■短命で終わった30年前の「細川政権」 残念ながら細川政権は263日間の短命で終わった。政権基盤といえば、端から脆弱といわざるを得ない。そもそもこの政権は、自民党のエッセンスのような男(小沢一郎)が率いる新生党と、とっくに耐用年数の過ぎた社会党(山花貞夫委員長、その後村山富市委員長)とが土台の大部分であった。政権運営がうまくいかないに決まっている。 それでも細川護熙首相は粘りに粘った。その後の日本の産業の行方を決定づける、ウルグアイ・ラウンドでコメ市場開放をなし遂げ、政治改革関連法案も紆余曲折を経て自民党と妥協し可決させる。 細川が政権時代の秘話を明かしてくれた。 「ひとつは政治改革関連法案が参議院で否決されたとき(94年1月21日)に、小沢さんと二人きりで話したことがありました。抜き打ち解散をしようと。国民の70%から80%は政治改革に賛成でしたから、その世論の支持で総選挙を闘う。選挙を打てば自民党はもたなかったでしょうから、そこで自民党の一部と組むという考えでした。しかし、まず政治改革法案を通すことをがんばってしまい、解散ができなかった」 ■炎上した消費増税をめぐる“うかつな発言” 自民党の河野洋平総裁とのあいだにホットラインをつくり、最後の最後に自民党と手を結んで法案を通した。 「もうひとつは、国民福祉税構想がもちあがり、すぐに撤回という段階で、宮沢さんに相談したら、藤井裕久大蔵大臣に辞めてもらうべきだといわれました。7%の税率に関しては、もともと大蔵省は5~6%と言ってきていたので、記者会見で『腰だめ』(筆者注・鉄砲を腰にのせる姿勢を言う、転じて大体の見当を言う=消費増税率を表現するには不適当で世論の批判を浴びた)と私としては誠にうかつな発言をしてしまった。 藤井さんは立派な方でしたし、親しくしていました。宮沢さんと三人で話す時間があればよかったのですが……。でも、あのとき、大蔵大臣辞任となれば、新生党は政権から出てしまったかもしれませんが、そこで決断しなかったことには悔いが残ります」