「地震でも助かったのに」…能登の大雨で仮設暮らしの父を失い悲嘆
石川県の能登地方はこの9か月弱で、大地震と記録的な大雨という災害に立て続けに襲われた。地震からの生活再建に希望を抱き、力を尽くしてきた被災者らは悲嘆に暮れている。 【写真特集】能登大雨、カメラがとらえた被害状況
輪島市で塚田川の氾濫に巻き込まれて亡くなった尊谷(そんたに)松夫さん(89)の長男、敬蔵さん(63)は23日、父の死亡届を出すために市役所を訪れた。「なんでこんなことに」。それ以上は言葉が続かない。
遺体はこの日、同市の斎場に運び込まれた。付き添った敬蔵さんの妻篤子さん(62)は目を真っ赤に腫らし「地震でも命は助かったのに……」と漏らした。
松夫さんの弟の前川政二さん(80)も、安否が確認できていない。
兄弟が住んでいた同市久手川(ふてがわ)町の家は、元日の地震で全壊した。2人ともけがはなく、市内の仮設住宅に身を寄せた。毎日のように敬蔵さん夫妻が訪れ、4人で食卓を囲んだ。壊れた自宅のそばには田んぼがあり、兄弟は耕作を続けていた。
雨脚が強まった21日朝、2人は田んぼの様子を見に行っていた。午前9時半頃、篤子さんが電話で「危ないから山の高い所に避難して」と促すと、松夫さんは「すぐに上がる」と応じた。その声が最後になった。
連絡が取れなくなった父と叔父を捜して歩いた敬蔵さんが目にしたのは、木々が濁流になぎ倒され、沼のようになった光景だった。全壊した家も、車も流失していた。最後の電話から約3時間後、松夫さんの遺体が見つかったと警察から連絡が入った。笑顔を絶やさなかった父は、変わり果てた姿になっていた。
松夫さんは建設現場の仕事を定年まで勤め上げ、その後は稲作に精を出した。敬蔵さんは「本当に働き者だった」と振り返る。3人の孫が幼かった頃は、田んぼで一緒に泥遊びをし、塚田川で汚れを洗い落としてくれた。
「これからやっと、新しい生活を歩んでいくはずだったのに」と、篤子さんは悔やむ。「せめて叔父だけでも、どこかで生きていてほしい」。敬蔵さん夫妻は祈るように話した。(金沢支局 秋野誠)