親戚から土下座、息子の病…逆境超え創作活動続ける音楽プロデューサー・YANAGIMANの人生哲学
ケツメイシ、倖田來未、中島美嘉らへの楽曲提供や編曲・プロデュースで知られる音楽プロデューサーのYANAGIMANさんが、このほど、シンガーソングライターの川嶋あいさんがパーソナリティを務めるラジオ番組『明日への扉~いのちのラジオ+~』(ラジオ関西、毎月第1・2週日曜午後5時~)に出演。自身の音楽遍歴や、作曲方法、人生で味わった苦悩などについて語りました。 【写真】番組出演時のYANAGIMANさん 川嶋あいさんとのツーショット YANAGIMANさんは、ジャズミュージシャンとして音楽キャリアをスタートさせ、その後、ポップスやレゲエ、ヒップホップなど、さまざまなジャンルに挑戦してきました。また、ケツメイシ、ケミストリー、deftech、倖田來未、中島美嘉、加藤ミリヤなど、多くのアーティストに対し、楽曲提供や編曲、プロデュースを行っています。 学生時代から音楽に情熱を注いでいたYANAGIMANさんは、「絶対に音楽でやっていく」と心に決めていましたが、当初は全く売れず、厳しい状況が続きました。家族や親戚からの猛反対にも直面。「親戚一同に土下座され、なんとか音楽をやめてくれないかというような話をされました」と、当時を振り返ります。 それでも反骨精神で音楽活動を続ける中、YANAGIMANさんは「これが最後のチャンスだ」と感じて東京に出ることを決断。そこで出会ったのがケツメイシでした。当時はケツメイシもまだ世に出ておらず、東京の音楽シーンに関する知識も乏しい中で共に音楽を作り上げていったといいます。 「“Jラップ”が出始めの頃だった。ああだこうだ言いながら曲を作っていました」と、当時を懐かしむYANAGIMANさん。曲ごとにテイストが被らないように工夫を凝らし、一枚のアルバム制作で70曲以上を手掛けることもあったそう。「全力で音楽を作ることができて、こんなに楽しいことはない」と語り、仕事がなかった時期を乗り越え、今では大好きな音楽が仕事になっていることが何よりの幸せだと、YANAGIMANさんは当時に想いを馳せながら笑顔を見せました。 これまでの人生、辛い出来事は多々ありました。特に胸を痛めたのは、息子が7歳のときに劇症肝炎を発症し、長期間にわたって入退院を繰り返したこと。病院から一歩も出られない子どもたちを目の当たりにしたYANAGIMANさんは、20年以上の付き合いがあるサザンオールスターズの関口和之さんと共に、小児病棟でコンサートを開催したことがあると語りました。 そして「関口さんはウクレレが大好き」というエピソードを紹介する中で、YANAGIMANさん自身も音楽制作の過程でさまざまな楽器を触っていることを明かしました。「ギターで作るのとピアノで作るのとシンセで作るのとでは、全く異なります。ドラムでリズムを作ったり、パーカッションを叩いてみたり。スタートの位置を変えるだけで、音楽が新鮮に感じられるんです」と、自身の作曲アプローチを語ります。 切り口を変えて作曲する方法については、これまで出会ってきた多くのアーティストから学んできたといい、「それ(出会い)が全部自分自身の『タレ』になっているから、ありがたいですね」と、周囲への感謝も忘れません。 番組の最後、YANAGIMANさんは「海外には平均月収1万円、年収3万円の国もあり、学校に行ける人は一握りです。小中学生ぐらいまで生きることさえ大変な国がたくさんある」と伝えた上で、日本にも大変な思いをしている人が大勢いることに言及し、リスナーにこのようなメッセージを送りました。 「どこにフォーカスするかによって見える景色が違うと思う。自分が一番楽しめることにフォーカスすると、違った人生が見えてくると思います。そのフォーカスの仕方が大切だと思います」(YANAGIMANさん) ※ラジオ関西『明日への扉~いのちのラジオ+~』11月10日放送回より
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