不妊治療に区切りを付けた妻の思い 心折れかけてた日々、気づいた夫の優しさ…
初めての挫折 他人の妊娠情報におびえた
1年目は、排卵日に合わせて性交をする「タイミング法」を続けた。「今日だよ」。その一言をどう切り出すか、いつも悩んだ。月に1度しかない貴重な日。なのに夫は「飲み会がある」なんて言う。2人の子どもなのに、何で私1人で闘ってるんだろう…。いら立ちが募るばかりだった。 「私、努力さえすれば何でもかなうと思ってたんです」。進学、就職、結婚と、理想通りの道を歩んできた。不妊は、自分ではどうにもならない「初めての挫折」。治療のことは友人にも両親や姉妹にも言えなかった。「かわいそう」なんて思われたくない。他人の妊娠報告におびえ、交流サイトを見るのもやめた。 治療は高度医療に進んでいった。そのさなかに1度だけ、自然妊娠をしたのだ。うれしくて、すぐ妊婦向けの雑誌を買った。妊娠6週。検査画像で小さな心拍もしっかり確認した。なのに、翌日大量出血した。流産だった。
「実は僕もなんだ」夫は言った
「みんな当たり前に産んでるのに。私、いつから少数派になっちゃったの?」。そんな思いが頭の中を渦巻いた。「私が安静にしなかったからかな」。後悔にもさいなまれ、何日たっても心の整理が付かない。たまらず打ち明けると、夫は言った。「実は僕もなんだ」 これまで、夫の気持ちなど考えたことがなかった。自分の悲しみやつらさで精いっぱい。ああ、この人もしんどい思いをしていたのか。そんなそぶりを見せなかったのは、私のためなのかな。 流産から2カ月。2人の思い出の場所に花を植え、赤ちゃんの供養をした。この先、どう生きたいか。養子を育てる道はあるのか。そんな話もするようになった。そして、2人で決めた。受精卵は全部、大事に子宮に戻そう。後悔しないよう治療をやり抜こう―。 家も買った。私を気遣ってか、夫は、子連れの若い夫婦が少ない郊外の物件を見つけてきた。古民家ならいつ子どもを授かっても間取りを変えやすい。新たな一歩が踏み出せた。 そして治療が終わりに近づくにつれ、麻美さんに新たな気持ちが湧いてきた。「この経験を無駄にしたくない」。市の職員を辞め、不妊カウンセラーの資格を取った。今は子どもを望む人の相談に応じる。背中を押してくれたのはやはり、郷平さんだった。
今でも子どもは欲しい
治療から「撤退」した今も子どもは欲しい。それは麻美さんの本心だ。毎日のように思ってしまう。「不妊じゃなければどんなに良かったか」 でも、共に治療をやり抜いたからこそ見えてきた。夫の優しさも、深い愛情も、芯の強さも。今は思える。「安定ばかり求めてきたけど、この人となら『想定外』も悪くない。2人きりの人生もしっくりくるって」。結婚9年目。思い描いていた暮らしとは違うけれど、これが自分たちの夫婦の形。ありのままを2人で生きる。
中国新聞社