不妊治療に区切りを付けた妻の思い 心折れかけてた日々、気づいた夫の優しさ…
築150年になる古民家のわが家。日だまりの縁側に夫と並んで座ると、不思議と何でも話せる気がする。私たち、本当に子どもが欲しいのかな―。何度も話し合った。福山市の藤岡麻美さん(37)。2年前の秋、不妊治療に区切りを付けた。 【写真5枚】自宅の縁側でくつろぐ麻美さん㊧と夫の郷平さんなど 当時35歳。「まだ若いのに」と人は言うかもしれない。でも5年半、頑張り抜いた。心は何度も折れかけた。どれだけ泣いただろう。「でも経験した事は無駄じゃない、とも思うんです」。今、不妊カウンセラーとして歩き始めている。 以前は、自分の思う「無難な暮らし」にこそ幸せがあると信じていた。地道に努力して県立高から国立大へ進み、公務員になった。この先は「適齢期」で結婚して、30歳までに1人目を産もう。子どもは2、3人かな。あとは定年まで働いて…。そんな人生を思い描いていた。 理想通り29歳で、高校時代から知る同学年の夫と結婚した。なのに30歳を過ぎても子どもができない。生理が来るたび心がざわついた。何で? こんなはずじゃないのに。
「良質」の受精卵 着床することはなかった
すぐに不妊治療を始めた。体外受精に向けて卵子を採取し、育った受精卵は5個。医師から「教科書に載るほど良質ですよ」と褒められ、どっと安堵(あんど)が押し寄せた。一つ目を子宮に戻すと、心は躍った。やっと子どもが抱けるんだ―。 受精卵は5個もある。妊娠は不可能ではない。1個ずつ子宮に戻していけば、赤ちゃん2人は産めるかも―。期待は膨らんだ。それなのに5個とも着床することはなかった。不妊治療をやめて、もう2年になる。 夫の郷平さん(37)とは高校時代、同じ塾に通っていた。卒業前に告白されたが、麻美さんが先に県外へ進学。遠距離恋愛は続かなかった。 27歳の時、東京からUターンした郷平さんと再会した。安定を好み、市の職員になった自分とは違い、転職をいとわず、途上国の子ども支援にも赴く。その行動力は輝いて見えた。29歳で結婚。それから1年もせず、不妊治療が始まる。