<第3次安倍内閣>「第○次内閣」と「改造内閣」の違いは? 早稲田塾講師・坂東太郎のよくわかる時事用語
■第○次改造内閣とは
「改造」は総選挙によらず、首相の閣僚任免権を行使して行われます。1996年の総選挙から導入された小選挙区比例代表並立制までは細川・羽田非自民政権を除いて自民党中心か単独の政権が続きました。その過程で生じたのが派閥です。派閥はどのような集団にも存在しますが事務所まで作っているのは稀でしょう。自民党政権とは見方を変えれば派閥による保守連立政権です。したがって当選5回、6回ほどになると「大臣適齢期」と領袖(派閥のトップ)が「この人を」と売り込んで来ます。そうしたバランスを取って党内に亀裂が生じないように繰り返されてきた状況があります。こうした「派閥順送り」は小泉純一郎内閣が拒否して以降、陰を潜めました。 支持率低下など内閣が弱体化してきた際に積極的に首相主導で行うケースは健在です。「疑惑の大臣」を罷免ではなく交代で穏便に退いてもらい、清新な人材を登用して風向きを変えるのです。官邸が改造風を吹かせると不満分子がおとなしくなるという効果も期待できる半面、選ばれなかったらますます不満をため込むというデメリットもあり難しいさじ加減です。 なお総選挙で勝ち同一人物が「第二次」内閣を作り、それが第一次改造内閣とまったく同じメンバーであっても「第二次」の呼称は変わりません。
「○次内閣」「○次改造内閣」最多は何次?
「○次内閣」最多は第五次吉田茂内閣です。「○次改造内閣」は第三次吉田内閣と第二次池田勇人内閣、第一次佐藤栄作内閣の「三次」が最多です。つまり「第三次吉田第三次改造内閣」といった呼び方になります。戦後最長政権の佐藤内閣や次に位置する吉田内閣だけに改造の数も必然的に多かったのです。 ◎「○次」が多かった内閣エピソード 長期政権の末期を指すのとほぼ同義で、混乱する方が多いようです。例えば最長の第五次吉田茂政権は反主流の鳩山一郎派など党内に不穏な分子を抱えてスタートしました。そもそも吉田首相自身が右派社会党の西村栄一議員の質問に「バカヤロー」と応えて紛糾。鳩山派などが野党の出した内閣不信任決議案に同調して可決。吉田首相は解散を選択しました。世にいう「バカヤロー解散」です。結果は与党自由党の過半数割れ。「吉田もこれまでか」との声をよそに首相は懸命な多数派工作を仕掛けて何とか五次内閣を作るも鳩山派との内争や新党結成の動き、さらにこれまた戦後最大級の汚職事件「造船疑獄」の発覚と揺れ動き、事態打破のためまたもや解散しようとする首相を執行部が何とかなだめて総辞職に持ち込みました。 「勝ち逃げ」ともいえる代表的な例が第三次小泉純一郎政権でしょう。2005年の「郵政選挙」で圧勝し余力を十分に残しながら1年ほどで辞職しました。