1970年は「日米新時代」演出の舞台に 「呉越同舟」 国益懸け熾烈な交渉 万博未来考 第2部(3)
万博にはイデオロギーや立場の異なる多様な国家が集結する。「呉越同舟」。開催国をはじめとする国家にとって、ときに国益を懸けた熾烈な外交舞台となる。 1970(昭和45)年7月3日、大阪万博会場(大阪府吹田市)の「お祭り広場」。米国が自国をアピールする「ナショナル・デー」の式典に2人の若者が現れ、集まった人を沸かせた。 「エキスポはすばらしい。アリガトウ」 覚えたての日本語であいさつしたのは、ニクソン米大統領の特使として来日したデービッド・アイゼンハワー氏。隣にいたのは妻のジュリーさんだ。夫妻は前日、東京で佐藤栄作首相とも面会していた。 デービッド氏の祖父は、69年に死去したアイゼンハワー元米大統領。60年6月、日米安全保障条約の改定をめぐってデモ隊が国会を取り囲む危険な情勢を受け、訪日を断念した経緯がある。 ■くすぶる反米感情 世界から大勢が一堂に会する万博は、国家同士が外交を通じて関係を強め、それを世界へアピールする絶好の舞台となる。 70年万博当時、日本ではベトナム戦争などにより反米感情がくすぶっていた。69年に沖縄返還で合意したことを機に関係安定化を演出したかった日米両政府。「若い2人なら反米派の攻撃対象にならず、日本人の心をつかめる」。こう考え白羽の矢を立てたのがデービッド夫妻だった。その演出の舞台に、アジア初の万博として国際社会が注目していた大阪万博を選んだ。 若々しい2人の登場をメディアは好意的に報じた。「大成功であった。デモなど起こりはしなかった」。マイヤー駐日米大使は著書『東京回想』でこう書いた。駒沢大の村井良太教授(日本政治外交史)は「戦後生まれの夫妻が次世代の日米関係を体現した」と語る。万博が異なる国家間の友好ムード醸成に一役買った好例といえる。 ■国際的地位挽回へ 「万博を機に非常に多くの外国の指導者が日を追って来日している。いながらにして外交問題に関し、いろいろな意見交換ができ大変有益だ」 万博期間中の70年4月27日、衆院外務委員会で愛知揆一外相はこう述べ、開催国の立場を生かし、外交を通じて日本のプレゼンス(存在感)を高める意欲を見せた。