殺人、愛憎、奴隷…スキャンダルに彩られた英国貴族のカントリーハウス4選、どれも見学可
奇妙な三角関係の舞台 チャッツワース、ダービーシャー
貴族の歴史、スキャンダル、陰謀の舞台となったチャッツワースハウスは、1687年に建造され、その後何度も修復された。18世紀には、ランスロット・“ケイパビリティ”・ブラウンが設計した庭園が作られ、時を超えて今もなお美しい景観を保っている。 1774年、ジョージアナ・スペンサー(ダイアナ元妃の祖先)が、第5代デボンシャー公爵のウィリアム・キャベンディッシュと結婚し、チャッツワースハウスの女主となる。ジョージアナは、スタイリッシュなパーティ、政治的洞察力、重度のギャンブル依存症、そして非伝統的な恋愛関係で知られていた。 キャベンディッシュにはエリザベス・フォスターという愛人がいたが、彼女はジョージアナの親友でもあり、さらに恋人関係にもあったのではないかと言われている。そして、3人は、この奇妙な三角関係を維持したまま1806年にジョージアナが死亡するまで一緒に暮らしていた。エリザベスは、生涯ジョージアナの髪の束を首につけ、1824年に他界した。 20世紀に入ってから、デボンシャー公爵夫人としてチャッツワースにやってきたのは、ミットフォード姉妹として有名な6姉妹の一人、デボラ・ミットフォードだった。彼女の姉たちには、作家のナンシー、共産主義者のジェシカ、そしてナチス支持者でアドルフ・ヒトラーの愛人とも言われたユニティがいる。
奴隷に賄われた大豪邸 ヘアウッドハウス、ヨークシャー
砂糖貿易で成功したヘアウッド伯爵家の莫大な富は、奴隷労働によって築かれたものだった。1751年にイングランド北部にある4平方キロメートルの広大な土地にヘアウッドハウスが建造されたが、屋敷に置かれたトーマス・チッペンデールの家具も、ケイパビリティ・ブラウンが手掛けた庭園も、全て奴隷によって賄われていた。 ヘアウッド男爵エドウィン・ラッセルズ(1713~1795年)とその家族は、重要な砂糖生産者として、バルバドスを含むカリブ海の島々で24のプランテーションを所有または管理していた。1838年に英国が奴隷制を廃止するまで、3000人以上の奴隷がラッセルズのサトウキビ畑と砂糖精製所で重労働を強いられていた。 1922年には、ヘンリー・ラッセルズが国王ジョージ5世の娘のメアリー王女と結婚し、ラッセルズ家の遺産は英国王室とのつながりをさらに強めた。 現在、ヘアウッド伯爵のデビッド・ヘンリー・ジョージ・ラッセルズ氏は、一族の不名誉な過去に向き合い、大西洋をまたいだ奴隷貿易とヘアウッドハウスのつながりについて認識を高めるための教育に取り組んでいる。また、過去の奴隷制に対する修復的司法を支持する「エアーズ・オブ・スレイバリー」の会員にもなっている。