<高校野球物語2022春>/2 秘伝日誌、名門復活の道 広島商を改革、荒谷監督
春は優勝1回、夏は優勝6回。広島商は甲子園で輝かしい実績を残し、プロ野球界に多くの名選手を輩出してきた。だが、センバツ出場は20年ぶりとなる。空白期間には部内暴力が発覚したこともあった。長く低迷していた名門「広商」は、なぜ復活できたのか。 ◇広島商を改革、荒谷監督 広島商は2018年春に部内暴力が発覚し、夏の広島大会の開幕直前まで対外試合禁止処分を受けた。当時、副部長だったOBの荒谷忠勝監督(45)は夏の広島大会で代理監督を務め、8月から正式に監督に就任した。「強い広商を取り戻すためにどうすればいいか」。出した結論は「いいものは残し、変えるべきものは変える」。試合で勝つために、選手に考える習慣を身につけてもらうよう促した。 すぐに始めたのが、前任の呉商(広島)監督時代からの取り組みである「野球日誌」を部員に書いてもらうことだった。ただの日誌ではない。「広商Dream日誌~全国制覇へのシナリオそして人生~」と題され、A4ファイルにぎっしり書類がとじられている。日々のことを記す「日誌」の他に、1カ月単位での目標や課題、ルーティンチェック表、自己分析シートなど細分化される。 例えば、ある選手のルーティンチェック表には「丁寧にキャッチボールする→送球が安定する」「20分間ストレッチをする→けが防止につながる」などと、具体的な行動と効果が記されている。「練習・学校での成功体験」「ヒントとなった言葉や出来事」「今日をもう一度やり直せるなら」などについて書き込む欄もある。内容は野球だけにとどまらず、「英語のテストが返却された。赤点ではなかったが、基礎問題ができていなかった」などの記述もあった。 日誌は他の効果もあった。18年秋から主将を務めた真鍋駿さん(20)は「僕たちの考えを知ってもらう大事なツールだった」と振り返る。練習後は補食を取るのが決まりだったが、練習中に取ることで効率良くエネルギーを補給して能率を上げたいと選手側から提案すると、すぐに採用された。荒谷監督は選手の考えを尊重するため、伝統校にありがちな古い体質とは無縁だった。 荒谷監督は日誌以外にも部内改革を断行した。上級生による下級生への部内暴力で対外試合禁止処分になったため、積極的にミーティングを開くようにし、学年の垣根を越えて意見をぶつけるように促した。その結果、学年ごとのわだかまりがなくなり、19年夏には15年ぶりに甲子園に出場。初戦で敗れたが「広商復活」を印象づけた。 ◇想定外にも慌てず こうした部内改革が今春の甲子園出場にもつながった。主将の植松幹太(2年)は「(日誌は)書く内容が多いので最初はとまどった」と素直に明かしつつも、「その日失敗したことを書けば同じミスをしないように気をつけられる」と効果を実感する。 試合では当初のプランが狂った時、慌てずに次のプランを遂行できるかが鍵となる。そのためには「普段から考える習慣をつけなければならない」と荒谷監督。日誌をつければ一日の行動を振り返り、予定通りにできなければ次の日にどうするか考える。その考える習慣をつけることで、試合でも「想定外」が起きた時、すぐに次の一手が繰り出せるという。 チームは昨秋の中国大会の2試合で逆転勝ちしたが、考える習慣が養われているから、リードされても「逆転に必要なことは何か」と各自が判断し、浮足立たなかった。荒谷監督は「漫然とではなく『なぜこの練習をするのか』を考えてほしい。うちは商業高校で部活動も教育の一環。長期、短期の目標などビジネスでも通用する考え方を学んでもらいたい」と語る。 「広商」の新たな伝統になった野球日誌。再生した名門は監督秘伝のアイテムを携え、20年ぶりの甲子園勝利をつかみにいく。【大東祐紀】=つづく