【長崎】今夜、日本被団協ノーベル平和賞授賞式 ノルウェー・オスロから中継
NCC長崎文化放送
吉永龍司アナウンサー: ノルウェーの首都オスロの市庁舎前からお伝えします。10日午後1時、日本時間の午後9時から、こちらの市庁舎ホールで、ノーベル平和賞授賞式が開かれます。 【写真】今夜、日本被団協ノーベル平和賞授賞式 ノルウェー・オスロから中継
日本被団協からは、登壇する田中熙巳さん(92)、田中重光さん(84)、箕牧智之さん(82)の他、被災協のメンバーや、高校生平和大使の代表も、式に参加する予定です。 私は、8日日曜にノルウェーに到着しましたが、オスロの街は、「ノーベルウィーク」ということで、授賞式以外にも様々なイベントが市内各地で開かれています。 (吉永龍司アナウンサーのオスロ市内取材) 9日からずっと国会議事堂前広場では色んなデモやミサのような活動が行われていまして、先ほども被爆者の方々と、現地の方々が一緒になって『ノーモアヒロシマ・ノーモアナガサキ』の白い横断幕を掲げたイベントを行っていました。 日本から来た被爆者らが、平和を願う折り鶴をノルウェーの国会議員や子どもたちに手渡すイベントが開かれ、多くの折り鶴がクリスマスツリーに飾り付けられました。 1歳の時に長崎市小瀬戸町で被爆・倉守照美さん(80): 「なんか今までたまっていたものがマグマのように吹き出て、一気に伝えたい!どなたにでも伝えたいと思いました」 ICAN事務局長 メリッサ・パークさん: 「ここにいられてとても感動しています。日本被団協がノーベル平和賞を受賞したことを祝福したいですし、また長崎と広島で原子爆弾で苦しむ全てのメンバーに敬意を示します。そして被団協が話すように一刻も早くこの世界から核兵器を無くさなければなりません」 オスロ中央図書館では、14歳の時に広島で被爆した詩人・橋爪文さん(93)が、現地の人たちに被爆の実相を伝える「被爆証言会」も開かれました。 爆心地から1.6キロで被爆・橋爪文さん(93): 「(14歳で被爆した時)これは何が起こったんだろうと思いましたけれども、その遠いがれきの向こうですね、平らになっている遠い所に母がいるんだなと、母のことを思いました。後から分かったのですが、頭の血管が切れていたんですね、だから出血が多くてもう、ふらふらだったので、それでも母に会いたいと思って歩き出しました」 ICANプログラムコーディネーター スージー・スナイダーさん: 「橋爪さんの体験談や、彼女の平和を願う詩からたくさんのことを学べる素晴らしい機会でした。より核兵器を廃絶したい気持ちが強まりました」 第27代高校生平和大使・津田凜さん(長崎東高校2年): 「一番心に残ったのは、緑が好きだという被爆者の方の言葉で、被爆した時は緑も何も無かった。本当に草1本も残っていない状況で生きているものが何も無かったということをおっしゃっていて、(人の命だけでなく)罪のない植物たちの命も奪っていたということに改めて気付かされてすごく心に残って、これからも心に留めておきたいと思う」 第27代高校生平和大使・大原悠佳さん(長崎西高校2年): 「これからももっと思いを持って声を上げていきたいなと思いました」 また夜には、キャンドルイベントが開催され、被爆者や現地の参加者らが、折り鶴をかたどったキャンドルを囲み、ノルウェーの高校生が平和を祈る歌を捧げました。 吉永龍司アナウンサー: ノーベル平和賞授賞式では、長崎で被爆した被団協の田中熙巳代表委員が、核廃絶に向けて受賞講演を行う予定です。どんなメッセージを発信するのか、全世界からここオスロに注目が集まっています。 大嶋真由子アナウンサー: いよいよ授賞式まであと3時間ほどとなりましたが、日本被団協の皆さんの様子はいかがですか? 吉永龍司アナウンサー: きのう(9日)記者会見がオスロ市内でありまして、登壇する3人と話をすることが出来ました。田中熙巳さんは「ものすごい重圧を感じている」と話していました。一方で「核兵器、そして戦争のない世界をつくっていくために、これからそれを担っていく若い世代にもしっかりとメッセージが届くように力強く訴えたい」と話していました。
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